ライブラリー図書
世界周航記
解説
著者のラングスドルフ(Georg Heinrich von Langsdorff, 1774-1852)は、ドイツの博物学者、冒険家。ゲッティンゲン大学で医学、博物学を修めた後、イベリア半島でポルトガル軍とフランス軍との戦争に参加し、その間にポルトガル語を習得する傍ら、ロシアのサンクトペテルブルク・科学アカデミーの外国人会員に若くして選出されています。アカデミーの招聘を受けてロシアに赴いた際に、ちょうどクルーゼンシュテルン(Ivan Fedorovich Kruzenshtern, 1770-1846)によるロシア初の世界周航の話を聞き、クルーゼンシュテルンの世界周航に同行し、日本との通商関係構築を目指して長崎に向かう予定であったレザーノフ(Nikolai Petrovich Rezanov, 1764-1807)に嘆願して、使節侍医の資格でもって一行に参加しました。
本書は、この時の航海記をまとめて出版したもので、1812年にフランクフルトで2巻本として出版されました。記録は、コペンハーゲンを出発してから、船体修理の為に寄港したブラジル滞在時の出来事、そこから太平洋を回って、カムチャッカに至るまでの航海、そしてペテロパヴロスクから長崎への航海(第1巻180ページから196ページ)と長崎や梅ヶ崎での半年近くに渡る交渉と滞在の様子(同197ページから272ページ)や、長崎を発ってからの蝦夷やサハリン探索(同273ページから303ページ)、そこからカムチャッカ滞在を経て、当時のロシア領アラスカ調査に参加しサンフランシスコまで南下して、帰国するまでの全航程を網羅しています。その中でも、レザーノフの通訳として長崎で交渉に参加した日本滞在については第1巻後半で多くの紙幅が割かれており、当時の日本に関する記録として重要な資料となっています。
レザーノフが目論んだ日本との通商関係構築は、結果として全く成果を上げることができませんでしたが、ラングスドルフは好奇心旺盛な博物学者らしく、その間の出来事を非常に生き生きと、本書において描いています。長崎の町中から異国船を一目見ようと貧富の差なく多くの人々が連日港からやってくる様子や、通詞とのやりとりを大変好意的に描いており、自身の日本滞在が個人的には充実していたことが伺えます。また、当時の日本の人々の服装や文化、役人の気質など、多方面において優れた観察眼を生かして当時の日本を描写しています。
本書がさらに資料的な価値を高めているのは、ラングスドルフ自身による多くのスケッチをもとにした銅版画を多数収録している点です。長崎滞在中に彼が描いたスケッチは、長崎湾の風景や、番所の様子、大村藩の役人、梅ヶ崎滞在中のレザーノフらの住居、レザーノフらの奉行所に向かう様子、そして日本の様々な人々の服装と生活の様子を描いた5枚の図(第1巻末に収録)など、ラングスドルフが描いた当時の日本の風景や人々を見ることができます。これらの銅版画は、本書が刊行されてから大変な好評を博したようで、19世紀ヨーロッパにおける日本人物像の典型として多くの書物に転載されています。また、本書自体も英語版(1813年から1814年)や、オランダ語版(1818年に前半2巻、1819年に後半2巻)など翻訳版も刊行されています。
なお、ラングスドルフは世界周航を終えた後、ブラジルに渡って農場経営(数年で失敗しています)とアマゾン奥地探検を行っており、その際に患ったマラリアにより重度の後遺症を負い、1830年以降はフライブルクで長い晩年期を過ごしました。
(執筆:羽田孝之)
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