ライブラリー図書
ブラジル陸海紀行(東西海陸紀行)
解説
本書は、ニューホフ(Johan Nieuhof, 1618 – 1672、ニーホフとも)による「ブラジル陸海紀行」(Gedenkweerdige Brasiliaense zee- en lantreize)、ならびに「東インド陸海紀行」(Zee- en Lant- Reize, door verscheide Gewesten van Oostindien)を合冊した作品です。著者のニューホフはオランダ西インド会社、東インド会社の両方に勤め、前者職員としては1640年から1649年にかけて当時オランダ領であったブラジルに赴き、また後者職員としては1655年から1657年にかけて清国への外交使節団として中国にも赴きました。ニューホフによる清国派遣団の行程を綴った『東インド会社遣清使節紀行』(Het gezantschap der Neerlandtsche Oost-Indische Compagnie aan den grooten Tartarischen Cham, den tegenwoordigen Keizer van China. Amsterdam: Jacob van Meurs, 1665)は、魅力的な多数の図版を備えた本格的な中国誌として多くの読者を獲得しました。一方、本書は、彼が遺した「ブラジル旅行記」と「東インド旅行記」を合冊して、ニューホフ没後の1682年に刊行された作品で、口絵のタイトル表記から『東西海陸紀行』の名で呼ばれることもあります。
ニューホフの旅行記は、ブラジルとバタヴィアを中心とした東インド周辺地域の記述が中心となっているため、直接日本に関係する記事はあまり見られませんが、オランダ東インド会社を通じて江戸時代の日本へと伝えられ、多方面に影響を及ぼしたことが知られています。江戸時代後期を代表する蘭学者の一人である大槻玄沢は、洋風画の絵師であった石川大浪の所蔵本を通じて、自著『蔫録』の図版に本書収録図を採用しており、本書が当時の蘭学者に大きな影響を与えたことが分かっています。また、大槻玄沢の芝蘭堂で活躍していた蘭学者の山村才助が本書を抄訳したことも分かっており、本書は蘭学者のネットワークと彼らの作品を通じて、間接的に江戸時代の日本の人々の目に触れることにもなりました。
また本書は、ニューホフが旅した各地の風景や人々の風俗、動植物などを描いた非常に多くの図版を収録していたことでも、刊行当時のヨーロッパで好評を博しましたが、これらの図版は江戸時代の日本の絵師にとっても極めて魅力的だったようです。近年の研究では、浮世絵師の歌川国芳が、本書収録図版を自身の作品に多数用いていたことが明らかにされています。例えば、赤穂浪士討ち入りの場面を描いた「忠臣蔵第十一段目夜討之図」がその一つで、本書後編205ページ収録図を手本にしつつ、場面を月明りの照らす夜に変えて、洋風の高い周壁を持つ屋敷に赤穂浪士たちが討ち入りを試みる作品に仕立て上げられています。
なお、本書の出版を手がけたヤーコブ・ファン・メウルスは、ニューホフ『東インド会社遣清使節紀行』の成功により、その日本版として、モンターヌス『東インド会社遣日使節紀行』を刊行し、同書も大きな反響を呼び起こし、長年にわたって多くの人々に読まれました。
(執筆:羽田孝之)
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