ライブラリー図書
世界周航記
解説
本書の著者であるアンソン(George Anson, 1697-1762)は、イギリスの海軍提督を務めた軍人、政治家で、最終的には海軍元帥になっています。彼が1740年から1744年にかけて行った世界周航は、当時のイギリスにとって画期的な偉業として熱狂的な賞賛を巻き起こし、アンソンは一躍時の人となりました。
アンソンは、この世界就航の記録をまとめて1748年に刊行しましたが、刊行直後から大変な人気をよび、何度も再販や海賊版が出版されています。日文研所蔵本は初版から20年以上が経過して出された第14版とされるものです。
本書冒頭では、アンソンがたどった航路を示す世界地図が折り込まれています。テキストは全3部構成になっていて、イギリスを発ってからブラジル、ホーン岬を回って、チリ沖合いのファン・フェルナンデス諸島に至るまでを描いた第1部、ファン・フェルナンデス諸島からペルーのパイタ、メキシコのアカプルコまでと、当地でのマニラとの交易の様子を扱う第2部、メキシコから太平洋を渡り、マリアナ諸島へと至り、フィリピン北部から台湾、マカオ、広東を回って帰国するまでを扱う第3部という内容です。
アンソンの航海は、スペインの太平洋における海上勢力を壊滅させ、自国の拠点を築く足かがりを構築する指令を受けたものだったので、メキシコや太平洋上の寄港した島々におけるスペイン勢力の状況や現地の交易情報について、本書では詳しく述べられています。この当時既にスペインの海上勢力はかなり弱まっており、東南アジア海域については精巧な海図制作能力を背景にしたオランダの圧倒的な海上勢力によって既に支配権を失っていましたが、イギリスは太平洋上におけるスペインの勢力を完全に駆逐するとともに、当時、太平洋南方に存在すると信じられていた「未知の南方大陸」発見を目指していました。アンソンは、1743年6月にフィリピン沖でスペインのガレオン船を拿捕した際に、アカプルコ・マニラ間の定期航路に用いていたスペインの海図や日誌を押収しており、これにより太平洋上における重要航路の支配が可能となりました。
アンソンは日本に立ち寄ることがありませんでしたので、本書では日本についてほとんど扱われていませんが、第3部第5章の最後(448ページ)でわずかながら言及されています。また、本書の冒頭および末尾に日本を含む太平洋の精巧な地図が掲載されています。アンソンはマリアナ諸島のテニアン島にしばらく滞在し、太平洋航路の拠点になりうるかどうかを精査しており、その際に現地で発見した「空飛ぶプラウ船(flying proa)」と呼ばれる高性能を有する現地の船舶に言及しています。アンソンは、その性能の高さに注目するとともに、類似の船舶が同地だけでなく、東南アジアや東アジアでも利用されていること、それらが行き交うことのできる範囲などから推察して、マリアナ諸島は、日本から未知の南方大陸とを結ぶ広大な海域上にある群島の一部であると考察しています。また、続く第6章では、台湾南部の蘭嶼について述べており、同地の別称であるBotel Tobago xima(ボテルトバゴ島)と呼んでいます。
本書は、太平洋における交易と地理学上の発見の主役となる国が、スペインやポルトガルといった大航海時代を牽引した諸国から、イギリスへと決定的に移っていく歴史を象徴する書物となりました。
(執筆:羽田孝之)
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