ライブラリー図書
ザビエル書簡集 全4巻
解説
本書は、日本で初めてキリスト教布教を行ったザビエル(Francisco de Xavier, 1506-1552)が、生涯において認めた書簡を編集してまとめたものです。編者のトルセリーニ(Orazio Torsellino, 1545-1599)は、ローマ大学ラテン語教授のイエズス会士で、ザビエルの伝記のほか、イエズス会関連の多くの歴史書の作者として知られており、当時を代表する著作家の一人でした。本書は、スペイン語で書かれていた書簡原文をトルセリーニがラテン語に翻訳して編纂したザビエル書簡集で、全4巻の構成(1冊)として刊行されたものです。この書簡集は、トルセリーニが1596年にザビエルの伝記改訂版を刊行した際に付録として初めて発表されたもので、同年に、独立の書物としても刊行されました。本書は、1600年にマインツで刊行されたものです。書簡は認められた年代順に編纂されており、全4巻構成の中で、50通余りもの書簡が収録されています。
日本に関する書簡が登場するのは、第2巻(78ページ)以降で、日本出発前の書簡から既に日本に対する言及が見られ、1548年2月13日コーチン発のイエズス会創始者ロヨラ(Ignacio López de Loyola, 1491-1556)に宛てた書簡(98ページ)で、日本と中国の布教見込みに記されていることが確認できます。
第3巻(155ページ)からは、いよいよマラッカを発って日本での布教を開始した時期に認められた書簡が収録されており、日本出発直前の6月にマラッカから出された書簡(159ページ)では、日本布教の見通しを語っています。続く(168ページ)三書簡は、鹿児島(Cangoximae)から二通と山口(Amangucio)から発信された一通です。ザビエルは1549年8月に鹿児島に到着していますが、11月15日に鹿児島からゴアのイエズス会に宛てて発信された書簡には、彼が見聞した日本についての多くの情報が含まれています。有名な「これまで出会った蛮人の中で日本人は最も好ましいと思われる」という言葉もこの書簡において見出せます(177ページ)。日本の人々は非常に良い素質があり感じが良い反面、名誉心が強いことや、貧乏である(ただし、キリスト教社会と異なりそのことで何ら卑下されない)ことも報告されています。また、彼の説教に対する反応はすこぶる良く、多くの人がそれを聞きたがること、聖職者(僧)の多くは悪徳に満ちているが、そうでないある僧(Ninxit, 島津氏の菩提寺、福昌寺の東堂、忍室のこと)と非常に親しく論争を交わらせていること、また一般の人々はより理性的であることなどが伝えられています。また書簡後半(202ページ)では、鹿児島で聞いた京都(都、Meacum)のことについて報告しており、日本の中心都市で大学(ギムナジウム、Gymnasium)があり、その郊外にも高野(Coyana)、根来寺(Negruensis)、比叡(Fissonia)、近江(Homiana)という優れた学院(Academia)があると伝えています。この書簡は、ザビエルが実際に見聞した日本について初めて詳しく伝えたもので、ヨーロッパにおける日本像の形成に非常に大きな影響力を及ぼしました。
第4巻(221ページ)からは、日本を離れコーチンやゴアに戻ってから出された書簡が収録されていますが、これらの書簡においてもザビエルは、今後の日本布教の見通しや注意点について繰り返し言及しています。
トルセリーニが編集したこの書簡集は、ザビエル書簡集の決定版として長らく読み継がれ、17世紀後半に新たに発見された新書簡を加えた改訂版が出されるまで、多くの翻訳版や再版が刊行されています。
(執筆:羽田孝之)
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