マストリリ伝

出版年 1639
著者 スタフォード
出版地 リスボン
言語 スペイン語
ポルトガル
分類 イエズス会

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解説

著者のスタフォードはイギリス人のイエズス会士で、スペインの大学で数学を教授した数学者でもありました。本書は、日本における殉教者マストリリ(Marcello Fransisco Mastrilli, 1603-1637)の伝記として、1639年にリスボンで刊行されたものです。マストリリは、すでに日本でキリスト教弾圧が激しくなっていた1637年、敢えて入国を決意し鹿児島に上陸後、直ちに捕らえられ長崎で殉教した宣教師です。彼の覚悟の殉教は当時のヨーロッパのイエズス会士に大きな衝撃を与えたと言われています。そのため、1640年前後には、本書をはじめとして多くのマストリリの伝記作品が相次いで刊行されています。
マストリリが来日を決意する直接のきっかけの一つに、イエズス会日本管区の代理管区長であったフェレイラ(Cristóvão Ferreira, ?-1650)の棄教事件がありました。フェレイラは長く日本で宣教活動に勤しみ、『日本キリシタン殉教報告などの著作もある非常に信頼されていた宣教師だっただけに、彼の棄教の報はローマのイエズス会を震撼させることになります。そのため、事件の真相確認と償いのために日本を訪れることを希望する修道士が当時急増し、マストリリはその代表として派遣されました。最初の航海は失敗しますが、二度目の航海でマニラを経て、多くの者が来日を諦める中ただ一人来日して殉教を遂げました。
本書冒頭の口絵は、彼が出発を決意してから、日本で捕縛され拷問を受け殉教するまでを描いたものです。左上の図は、彼がナポリのイエズス会学舎の聖堂工事に従事していた際に事故で瀕死の重傷に陥った場面を描いており、その時に彼の寝台横にあったザビエル像からザビエルが現れ、彼に奇跡的な回復をもたらす場面を示しています。この奇跡を体験してから、マストリリはザビエルに対する崇敬の念を一層強くし、将来のアジア布教を希望するようになります。続く、2の番号が振られている場面(図上方)は、マストリリが日本で捕縛されてから受けた拷問の場面を描いています。マストリリは最初に水責めの拷問を受け、さらにフェレイラが棄教を強いられた苛烈な穴吊りの拷問を受けましたがそれでも彼は棄教することも、絶命することもありませんでしたので、やむなく引き上げられます(図3の場面)。そして、中央に描かれた最後の場面、すなわち斬首に処せられることになりました。この場面に描かれている日本の役人の姿は着物や丁髷など、かなり写実的に描かれています。
テキストでは、この口絵をたどる形で、彼がザビエルから受けた奇跡、アジア伝道への決意と出発、苦難に満ちた航海、フィリピンでの布教と日本についての学習、そして日本への出発と殉教が、順を追って描かれています。日本での場面については、長崎で彼を取り調べた馬場利重(通称、三郎左衛門, Baba Saburozaymon)や榊原職直(飛騨の守, Finda Sacagibarin)とのやりとりも具体的に詳しく紹介(123ページ)されており、彼が殉教に至るまで受けた拷問の数々とそれに屈しなかった様が描かれています。

(執筆:羽田孝之)

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