ライブラリー図書
痛風論、中国・日本の鍼灸論
解説
著者のブランカールト(Stevan Blankaart, 1650-1702)は、オランダの医学者、植物学者で、多くの医学書や植物学に関する書物を著しました。彼自身は来日することはありませんでしたが、彼の著した医学入門書や内科書、植物学書は、日本の蘭学者の間で広く読まれた『解体新書』を始め、多くの医学書に引用されています。
本書はブランカールトが痛風とその治療法について書いたものです。当時の日本では痛風はほとんど見られない病気でしたが、ヨーロッパでは古くから知られている病気でした。この作品が日本との関係で大変興味深いのは、273ページから始まる中国と日本の鍼灸を用いた治療について論じた章が含まれている点です。
この章は、1674年から2年間日本に滞在したオランダの医者であるテン・ライネ(Willem ten Rhijne, 1647-1700)による『関節炎論(Transisalano-Daventriensis Dissertatio de Arthritide. 1683)』で鍼灸治療を紹介した箇所がオランダ語に翻訳されたものです。テン・ライネは、日本人に西洋医学を教えるために幕府の要請を受けて来日しましたが、滞在中に日本の多くの医師とも交流、医療技術の伝授を行いました。『解体新書』に先立って日本で初めての解剖書の翻訳を行った本木庄太夫との交流でもよく知られ、医学の東西交流の基礎を築いた人物です。テン・ライネは離日後もバタフィアに残り母国に帰ることはありませんでしたが、元木庄太夫らから学んだ鍼灸治療についての研究成果をラテン語で著し、1683年『関節炎論』で発表し、ヨーロッパに初めて鍼灸治療を伝えました。ブランカールトはこの著作にいち早く注目し、翌1684年に刊行した本書において、早速それをオランダ語に翻訳して伝えました。
ブランカールトはテン・ライネの著作にあった図版は採用していませんが、本書の口絵において鍼灸治療の様子を描いた銅版画を載せています。鍼術、灸術の概要と効能、施術法をコンパクトにまとめて紹介しており、ヨーロッパ人を悩ませていた痛風の新しい治療法として伝えられています。
本書によって、鍼灸治療はヨーロッパでも広く知られるようになり、両書は日中医療技術のヨーロッパへの普及に貢献することになりました。ただし、テン・ライネは鍼灸治療に独特の用語である、気や経絡といった概念がうまく理解できなかったようで、鍼術は身体各部に溜まったガスを抜く治療として考えて、紹介しました。
(執筆:羽田孝之)
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