ライブラリー図書
世界周航記
解説
著者のクルーゼンシュテルン(Ivan Fedorovich Kruzenshtern, 1770-1846)はエストニア出身のロシア海軍提督で、1804年からのロシアによる初の世界周航、ならびにレザーノフ(Nikolai Petrovich Rezanov, 1764-1807)の第二回遣日使節を率いました。クルーゼンシュテルンは、アラスカで獲得した毛皮を中国で売却し、そこで購入した中国商品をヨーロッパで売却することで、ロシアが莫大な利益を得ることができるとして、ロシア政府にその航路開拓のための世界周航を提案しました。それが認められ、クルーゼンシュテルンが準備を進めていたところに、アラスカで利益をあげていた露米会社の政府側監督者であったレザーノフによる第二回遣日使節派遣が決まり、特命全権大使にレザーノフが任命されたことで、両者の間で対立が生じましたが、最終的に航海を成功させています。クルーゼンシュテルンは、この時の航海記をまとめて、1810年から1812年にロシア語版とドイツ語版とを同時に刊行しました。本書は、翌1813年に英訳版として刊行されたものです。
クルーゼンシュテルンは世界周航に際して、貿易上の成果だけでなく、先行するイギリスのクック(James Cook, 1728-1779)や、フランスのラペルーズ(Jean Francois Lapérouse, 1741-1788)による航海を上回る学術的成果、地理学上の発見を目指し、入念に準備をして航海に臨みました。天文学者や測量技術者を同乗させ、最新の計器類を搭載しています。したがって、本書の叙述スタイルも、正確さや学術的重要性に配慮した客観性を重視したもので、この航海に同行して同じく『世界周航記』を著したラングスドルフ(Georg Heinrich von Langsdorff, 1774-1852)の視点とはかなり異なっています。
本書第1章では、彼の航海の準備の様子が記されています。クルーゼンシュテルンの航海において最も重要とされていたのは、カムチャッカをはじめとしたサハリン、北海道(当時は蝦夷)近辺の北東アジアの海域の全容解明でした。この海域は17世紀から数多くのヨーロッパ人が航海を行ったものの、その全貌がいまだに明らかになっていませんでした。ラペルーズによるサハリン西岸を北上した航海によって発見された宗谷海峡(ラペルーズ海峡)は、画期的な成果として大きな話題となっていましたが、サハリン東岸と北岸近辺は未知のままで、クルーゼンシュテルンはラペルーズを超えるような成果を目指していました。本書序文では、こうした歴史的経緯も踏まえて。彼がいかにしてこの航海に臨んだかが述べられています。
彼の航海は船体修理の為に立ち寄ったブラジル滞在を経て、太平洋を横断して日本へと向かう航路をとりますが、主に日本についての記述は第1巻第10章(185ページ)から集中的に見られます。そこではカムチャッカを経由して長崎へと向かう航程(同第11章、210ページから250ページ)、長崎での滞在とレザーノフによる交渉失敗(同第12章、251ページから287ページ)、長崎湾内の描写(同第13章、288ページから314ページ)、日本を発ってカムチャッカに向かう航路と周辺海域の調査(第2巻第1章、1ページから43ページ)、蝦夷北部のへの上陸と日本人との交流、アニワ湾(サハリン南端の中知床湾を指す)周辺の調査(同第2章、44ページから78ページ)、アニワ湾からサハリン東岸沿いの航海と、流氷による断念とカムチャッカへの帰還(同第3・4章、79ページから193ページ)と多くの紙幅を費やして日本のことについても言及しています。その際の記述もあくまで客観性を重視したもので、緯度経度といった地理学上の情報や、気候や天候、星座といった科学データが多く含まれており、日本との交渉について言及する際も、ヨーロッパ人と日本との交流の歴史を踏まえてた上で論じています。
カムチャッカに戻ったクルーゼンシュテルンは、その後サハリン東岸を再び北上し、ラペルーズと逆にサハリンを北端から西岸を南下する航路をとって、ラペルーズ海峡の存在を確かめ、海水の比重変化から、サハリンと大陸との間を分かつような海峡は存在し得ず、従ってサハリンは島ではなく半島であると誤って結論づけてしまいました。しかしながら、その過程で得た測量データに基づいて作成された日本北辺海域の地図は、それまでにない正確さを有しており、当該地域の地理学情報の進展に大きく貢献しました。また、クルーゼンシュテルンは、後にヨーロッパに帰国したシーボルトから、彼の持ち帰った同地を含む日本周辺地図について判断と助言を求められ、それらによって、自身が確定し得なかったサハリンと大陸との間に航行可能な水道があることを確証したことをシーボルトに興奮をもって伝えています。
(執筆:羽田孝之)
もっと詳しく見る