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1611年度日本年報
解説
日本布教の公式報告である「日本年報」の成立は、1579年の巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノ(1539-1606)による通信制度改革に端を発します。本報告の著者であるポルトガル人イエズス会士ジョアン・ロドリゲス・ジラン(1558-1629)は1586年に来日しました。日本語に堪能であったことから、九州や京都の布教において活躍し、準管区長フランシスコ・パシオを支えました。1603年からは管区長秘書を務め、1604年から1611年の間に8年度分の「年報」を、そして1614年の宣教師追放令以後、1617年から1626年にかけては7年度分の「年報」を作成したことで知られています。
日文研が所蔵するイエズス会総長クラウディオ・アクアヴィーヴァ(1543-1615)宛ての『1611年度日本年報』は、1615年にローマで刊行されたイタリア語版です。最初に日本の政治状況、布教の進展を扱う「教会全般の状況」、そして日本で亡くなったイエズス会士の事蹟を称賛する「イエズス会全般の状況」が設けられ、これに西日本および北陸地方の布教詳報として、長崎、諫早、深堀、浦上、内海、不動山、有馬、有家、島原、西郷、千々石、口之津、加津佐、天草、博多、秋月、柳川、小倉、中津、博多(原文ママ、高田)、野津、広島、都、上京、伏見、大坂、播磨、堺、北国の布教成果や弾圧などが述べられます。さらに、郡および長崎において十字架が発見されたとする奇跡譚が特別に紹介されています。
〔参考文献〕
フーベルト・チースリク「イエズス会年報の成立と評価」『東方学』49、1975年。
五野井隆史「日本イエズス会の通信について」『東京大学史料編纂所紀要』11、2001年。
岩下哲典 編『江戸時代 来日外国人人名辞典』東京堂出版、2011年。
(執筆:小川仁)
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