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日本滞在記抜粋
解説
この小論は、1775年から1776年にかけてオランダ東インド会社船医として来日したスウェーデン人医師トゥンベリ(Carl Peter Thunberg, 1743- 1828)による「日本滞在日記」の、当時のイギリス王立協会会長ジョゼフ・バンクス(Sir Joseph Banks, 1743 – 1820)に宛てた抄録です。この小論自体はエドマンド・バーク(Edmund Burke, 1729 – 1797)が1758年にその監修者・主席執筆者となった『年鑑(Annual Register)』の1780年号 (1781年出版)に収録されました。その底本は、『哲学的論考集』(Philosophical Transactions) 第69号に掲載された、バンクス宛のトゥンベリの手紙の抜粋です。トゥンベリは1775年8月に来日して、1776年春からの江戸参府に随行した後に同年中に離日しましたが、短い滞在期間にも関わらず、日本の植物、医学研究などに精力的に取り組み、『日本植物誌』や『ヨーロッパ、アフリカ、アジア紀行』などの著作を残したことが知られています。トゥンベリは、近代植物学の祖とされるリンネ(Carl von Linné, 1707 – 1778)の直弟子でもあったことから、リンネの近代植物学の最大の特徴である分類法をいち早く日本に伝える役目も果たしました。トゥンベリは、日本産植物を分類するにあたりリンネ分類法を初めて用いた人物であり、その成果は『日本植物誌』にまとめられました。
トゥンベリは、離日後の帰国途中ロンドンに滞在して、1788年に王立協会のフェローにも選出されており、本書はこのロンドン滞在時に発表した日誌の抜粋が転載されたものです。本書冒頭の記述によると、トゥンベリはロンドン滞在中にバンクスから多くの知識人を紹介されたようで、その際にしばしば日本についての質問を受ける機会があり、その都度記憶を頼りにしてしか答えられていなかったが、このたび日本への航海、滞在中に認めた日記を抜き出す形で、こうした質問に答えたいとしています。『哲学的論考集』とは、イギリスの王立協会(Royal Society)が発行している学術雑誌のことで、当時から科学雑誌として最も権威ある雑誌とされていました。トゥンベリのこの論文は、同誌第70号第1部に初めてスウェーデン語と英語訳を併記して掲載された後、『年鑑』はじめ複数の雑誌に転載されました。
トゥンベリは長崎に上陸する際の様子をかなり細かく描写しており、上陸時の取り調べは非常に厳しく、生卵の中まで調べられるほどであること、以前はこれほどまでに厳しくなかったが、密貿易があとを絶たなかったことから幕府が厳しい方針に転じたことなどが述べられています。また、日本に住む人々の特徴、男女の髪型、衣装、住居、家具、冬の厳しさと数少ない暖房設備、ポルトガル人がもたらした煙草が広く愛好されていることや、非常に清潔であること、刑罰が厳格である一方で犯罪が極めて少ないこと、商業活動が非常に活発であること、オランダ、中国との貿易の概観、そしてオランダ商館長の江戸参府のことなどが説明されています。トゥンベリが随行した1776年春からの江戸参府の旅行記も記されていて、立ち寄った町のことや移動に用いた籠(乗り物、Norimons)のことなどが報告されています。
(執筆:羽田孝之)
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