ライブラリー図書
アジア・アフリカ・ヨーロッパにおける現代異教論
解説
著者カロリヌス(Godefridus Carolinus, 1634- 1665?)は、オランダ南東部のバルネフェルト出身の牧師、著述家で、本書は彼の代表作にあたります。本書は、カロリヌスによるキリスト教の観点から見た世界各地の異教徒論で、主にアジアとアフリカの宗教について様々な角度から論じています。アムステルダムに1661年に刊行されたもので、1702年にも再販されています。
本書は、当時ヨーロッパで知りうる限りでの世界各地の様々な宗教について、主にキリスト教の立場から論じたものですが、その視点は単純にキリスト教中心主義とは言い切れないものがあり、いわば比較宗教論の先駆けとも言える内容になっています。
冒頭の口絵では、宙に浮かぶ地球の周囲に三人の人物像が描かれており、地球上に座する女性はヨーロッパ(キリスト教)を表しており、最も天に近く、また世界に君臨するものとして描かれています。地球の左右にはそれぞれアフリカ(左)とアジア(右)を表しており、地球上でその地位を指示棒で指し示しています。台座の部分中央にはタイトルが記されており、その左右には異教徒の儀式を表したと思われる絵が付されています。
テキストは二部構成になっており、前半ではアジアの異教について、後半ではアフリカの異教について論じられますが、分量的にはアジアの方がかなり大きくなっています。アジアの部は全24章で構成されていて、アジア各地の宗教が実に多彩な切り口で論じられています。まず、第1章ではアジアにおける宗教全体についての概論が扱われます。続く第2章では、アジア各地域における様々な異教が地域ごとにそれぞれ論じられており、その第1節(7ページ)において日本の宗教が独立して扱われています。ここでは、釈迦(Xaca)や阿弥陀(Amida)、坊主(Bonziae)といった用語が登場し、9ページでは「南無阿弥陀仏(NAMU AMIDA AMBUT)」と記されていることも見ることができます。これらの情報は主にイエズス会宣教師による報告から取られたものと思われますが、カロン(François Caron, 1600-1673)やハーゲナル(Hendrik Hagenaar)といったオランダ東インド会社員からの情報も参照しており、かなり本格的な論考と言えます。
以降に続く章では、あらゆる角度からアジアの宗教が論じられており、その扱う範囲の膨大さ、テーマの多様さについては圧倒されます。
第3章では、アジアの信仰における善悪や天使と悪魔について、第4章では、神々とその聖なる力を宿らせるものとしての太陽と月、第5章では、生けるものの聖なる力を宿す存在としての樹木と水、ガンジス川、第6章では、神々あるいはそれに比類するものとみなされる様々な動物として、像と鹿、猿、鰐と蛇、鳥が論じられます。第7章と第8章では、悪魔とその仕業や犠牲者について、第9章では、ナラシンハ王国(サールヴァ朝のことか)における聖トマスの使徒、第10章は異教における処女マリア、第11章では様々な迷信や無神論に類する作法として、肉食の禁止、吉凶日の設定、断食、身体と魂の清め、などが扱われます。第12章では、世界の創造、あるいは起源と終末、人類の起源についての考え方が、第13章では魂についての考え方、第14章では異教における司祭、すなわち波羅門について、第14章から第18章までは、司祭の役割や禁忌、婚姻の可否、司祭制度、告解のあり方などが論じられます。第19章は、仏塔や寺院、修道院とその機能、第20章は巡礼とその仕儀、第22章では祭事についてを扱っています。残る第23章では、結婚制度や、葬儀の作法や服喪のあり方、埋葬の仕方、特に火葬についてが扱われており、その関連で最後の第24章は、死後の魂に対する考え方の考察となっています。
これらの考察の様々な場面で日本の宗教についても言及がなされており、非常に包括的な比較宗教論ともいうべき文脈で日本の宗教が論じられていることに驚かされます。本書は、18世紀に『偶像崇拝の国々の宗教文化と儀式』を出版し、啓蒙の世紀における比較宗教論の先駆的人物と言われるピカート(Bernard Picart, 1673-1733)を、さらに半世紀余り先行した重要な書物と言えます。
(執筆:羽田孝之)
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