日本における式典:婚礼と葬儀

出版年 1819
著者 ティツィング
出版地 パリ
言語 フランス語
フランス
分類 日本文化

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解説

 本書は、パリの出版社ヌヴーがティツィングの遺稿をまとめて1819年に刊行されたもので、タイトルが示すように、日本の婚礼と葬儀の儀式を中心に解説しています。
著者ティツィング(Isaac Titsingh, 1745 – 1812)は、アムステルダムで外科医となった後、ライデン大学で法学を修め、1765年にオランダ東インド会社の商務員としてバタフィアに派遣され、1779年8月から1784年11月までの間、三度、述べ三年半にわたって日本商館長を務めました。ティツィングが日本商館長を務めた時期は、いわゆる「田沼時代」と称される政治的に寛容な時代であり、蘭学勃興期にあたる時期でもありました。商館長在任当時から、多くの日本人と学術交流を深め、膨大な書物や美術品、地図を蒐集し、しかも後のシーボルトと異なり、幕府から正式にそれらをヨーロッパに持ち帰る許可までをも得ています。離日後の1785年から1792年の間は、オランダ東インド会社のベンガル貿易総監を務め、その後同社評議会員外参事としてバタフィアに赴任し、遣清大使を務めたことで、日清双方の宮廷を訪問した稀有なヨーロッパ人となりました。
ティツィングは日本滞在時から蒐集を続けていたコレクションと、それらを用いた様々な日本に関する論説を執筆しましたが、それらは生前ほとんど刊行されず、単独の著作としては本書が初めてのものです。出版社ヌヴーは序文において、生前からティツィングの原稿とコレクションに関心を払っていたことや、彼との書簡でのやり取り、本書出版に至るまでの経緯と苦労を述べ、いかにこの書物が重要なものであるかを述べています。序文に続いて、ヌヴーが入手していたティツィングの遺稿を含む膨大なコレクション(ただし、これでさえ全体のごく一部にすぎません)の明細が収録されており、その規模に驚かされます。
本文は、婚礼儀式の部から始まり、その冒頭において、ティツィングは主要な情報源が日本の書物『嫁取重宝記』と『罌粟袋』であることを述べ、それらを図版も含めて翻訳して掲載することを説明します。縁組成立時の贈り物とその価値、婚礼儀式の手順と詳細、そこで用いられる服装や道具、両家の顔合わせの手順などを、極めて詳細に論じています。ティツィングは、婚礼儀式が階級によって相違があることにも注意を払っており、『罌粟袋』が、諸階級の儀式の比較検討に適したテキストであることも説明しています。
続く葬儀の部は、正確な底本は明らかにされていませんが、なんらかの写本や日本の友人からの聞き取り、ティツィング自身が長崎で見聞したことが組み合わされていると思われます。日本の葬儀は中国のそれを源流にしていることを説明しつつ、婚礼儀式以上に葬儀は地域や階級による相違や変容の度合いが大きいことに注意を促しています。死者の埋葬方法や柩の特徴、喪に服す期間、葬送の列や儀式の決まり、などを非常に詳細に叙述しています。葬儀の部と関連して、ティツィングは「土砂加持」と呼ばれる、死者を清め亡骸に柔軟性をもたらす不思議な砂のことについて、その起源や効能とその不可思議さについて驚きをもって報告しています。
本書はテキストだけで構成されていますが、非常に色鮮やかな彩色が施された図版巻とセットで出版されており、日本の書物や写本、画を底本とした図版は、視覚情報として当時の日本の様子を伝える大変貴重なものです。
なお、本書は、ティツィングのもう一つの著作「歴代将軍図譜」と合わせて、英訳版が出されたほか、英訳版を元にオランダ語版も刊行され、ヨーロッパ各地で読まれました。

(執筆:羽田孝之)

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