ライブラリー図書
東インド書簡集
解説
イエズス会は世界中に宣教師を派遣して伝道活動を強化すると共に、現地の宣教師から定期的に報告書を書簡で送ることを命じており、それらを刊行することで、後続人材の士気を鼓舞し、またヨーロッパにおけるカトリック復興の機運を高めることを意図していました。日本布教に関する最も古い報告を含む書物は、早くも1552年に刊行されており、インド布教報告や日本報告という形で以降も刊行が続いています。1569年に出された『日本書簡集』や、1570年の『インド・日本書簡集』は初期の日本布教活動と当時の日本社会を知ることができる大変重要な書物です。
本書は、1580年に刊行されたもので、主に東アジア地域からの書簡を25通収録しています。収録されている書簡は、1566年から1577年にかけて出されたもので、前述の書簡集に収録されていない新しい書簡が中心になっています。ヴェネツィアの出版社フェラーリ(Antonio Ferrari)が出版したもので、タイトルページに掲げられた出版社を示す特徴的なマーク(デバイス)には、「正しき者は棕櫚樹のごとく栄えん(justus ut palma florebit) 」というウルガタ訳聖書の一節から取られた格言が記されています。
収録されている書簡のうち、日本に関係する書簡は全部で9通あり、本書のかなりの部分を日本関係書簡が占めています。
日本への西洋医学の導入と病院建設の功績でも知られるアルメイダ(Luis De Almeida, 1525-1583)による1566年10月28日に志岐から発信された書簡(9ページ)。
30年以上にわたって京都を中心とした近畿地方で布教を行い、日本人のような服装をまとい食事をとり、日本語にも堪能であったことから、「うるがんばてれん(宇留岸伴天連)」の愛称で呼ばれ、多くの日本人に慕われたオルガンティノ(Organtino Gnecchi-Soldo, 1533-1609)による来日前のゴアで認めた1568年12月28日書簡(49ページ)と来日後1577年9月21日に京都から発信された書簡(320ページ)。
布教方針を巡ってオルガンティノとも対立した日本布教区の責任者を長らく務めたカブラル(Francisco Cabral, 1529-1609)による4書簡(①1574年5月31日京都発、180ページ(乱丁のため180ページが2箇所ありますが、最初の方)、②1575年9月13日長崎発、204ページ、③1576年9月9日口之津発、224ページ、④1577年7月24日口之津発、322ページ)。
織田信長から厚い信頼を受け、織豊時代の同時代史『日本史』を著したフロイス(Luís Fróis, 1532-1597)による1577年6月6日豊後発書簡(256ページ)。
信長の動向について報ずるステファノ(Giovanni Francesco Stephanoni)による1577年7月24日三箇初書簡(327ページ)。
これらの書簡には1570年代(刊行当時最新)の日本における布教状況だけでなく、日本の政治や社会状況について知ることのできる貴重な情報が散りばめられています。
(執筆:羽田孝之)
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