ライブラリー図書
日本キリスト教迫害報告
解説
本書は、16世紀から17世紀半ばに至るまでの日本におけるキリスト教布教と迫害の歴史をまとめたものです。著者のシカルド(José Sicardo, 1643-1715)は、アウグスチノ会士で、メキシコ大学の神学教授でした。そのため、本書は他の多くの類似書物に見られるイエズス会士の活動だけでなく、アウグスチノ会の日本における宣教活動の歴史を、本書で数多く記しており、他の書物に見られない貴重な情報を提供しています。
本書は全3部からなり、第1部では日本における宣教活動と日本の歴史、政治状況の外観が中心に記されています。アウグスチノ会の日本における活動と、彼らが見た当時の日本の状況について論じた概論と言える内容です。ここでは、彼らのアジア宣教の拠点であったマニラの動向についても詳しく論じられています。豊臣秀吉(太閤様、Taycosama)とマニラ総督との交信(38ページ)や、徳川家康(内府様、Daifusama)によって派遣された使節との交渉(41ページ)についての記事をここで見ることができます。また、マニラは日本におけるキリスト教迫害が強まるにつれて、信者の追放先(受け入れ先)でもありましたので、そうした記述もここに詳しく見ることができます。
第2部(129ページ)からは、日本におけるアウグスチノ会士を中心とした殉教者についての報告が記されています。ここでは多くの殉教者の伝記とともに、殉教に至るまでの国内状況も描かれているほか、アウグスチノ会に限らず、イエズス会やフランシスコ会など他の修道会の殉教者、そして日本の殉教者も数多く取り上げられています。特に、アウグスチノ会の日本人司祭を務めた金鍔次兵衛(修道名はThomás de San Augstin)については、300ページからかなり詳細に報告されています。彼は有馬のセミナリオで優秀な成績を修めたのち、マニラでさらに研鑽し1624年にアウグスチノ会司祭に任命されました。その後、迫害が激しくなる日本へ帰国して布教活動に従事することを望み、1631年ごろに長崎に戻って大胆にも長崎奉行の馬丁になることで身分を隠しながら、夜間に長崎近辺で布教活動を精力的に行いました。強化される取り締まりも巧みにかわしながら活動を続けますが、1636年ついに捕縛され過酷な拷問の末1637年に殉教しています。彼の伝記は殉教直後の1638年にマニラで出版されていますが、本書ではこれを援用しながら詳細に彼の軌跡を記しています。
続く第3部(319ページ)も、おびただしい数の殉教者に関する記述が中心となっており、ここでも多くの人名や事件、それらに対するヨーロッパにおける反響と評価などを詳細に読むことができます。また、本部最後の第24章(444ページ)には、殉教者名簿が掲載されています。
本書はその後、再版や翻訳版が出されませんでしたが、イエズス会系の資料では見られない貴重な日本関係史料を多く含んでいる、大変重要な書物です。
(執筆:羽田孝之)
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