学習室エッセイ

ジャポニズム楽曲・探訪記 vol.1 ―サンタ・チェチーリア音楽院 (in Rome)―

著者
光平有希
掲載年月日
2019-11-06

日本を題材にした音楽作品、いわゆるジャポニズム楽曲ときいて、皆さんはどのような音楽を想起されるでしょうか。19世紀末にイギリスやフランス、オーストリアで開催された万国博覧会(以下、万博と略す。)では、日本の産業製品、美術工芸品などが多数展示され、これらの万博が西洋におけるジャポニズム進展の火付け役を担ったことはよくしられています。この流れは、他の芸術作品と同様に同時代の音楽作品にも大きな影響を及ぼし、20世紀初頭にはフランスの作曲家クロード・ドビュッシー(1862―1918)の交響詩《海》や、イタリアの作曲家ジャコモ・プッチーニ(1858―1924)のオペラ《蝶々夫人》など、多数のジャポニズム楽曲が生み出されました。これらの大型音楽作品は現在でも国内外で頻繁に演奏の機会を得ていますが、実は、万博を基軸にしたジャポニズム楽曲誕生より100年も前の19世紀初頭から、西洋各国では日本を題材にしたピアノ曲や歌曲が数多く出版されてきたことはあまり知られていません。

音楽院の正面玄関
音楽院の正面玄関

日文研の「外書の研究」プロジェクトでは、日本の開国期前後に日本を題材として作られた楽曲の「楽譜資料」を「日本関係欧文図書」のひとつとして位置づけ、2018年度より網羅的な調査と収集を開始しました。その研究過程の一環で、私は2019年春・夏季に、イギリス及びフランスやアメリカなどと並んで、19世紀初頭から日本を題材にしたジャポニズム楽曲が多数作曲されたイタリアにて調査を行いました。そのときの様子を、3回に亘ってお届けします。第1回目は、サンタ・チェチーリア音楽院附属図書館についてです。

図書館へと続く廊下
図書館へと続く廊下

サンタ・チェチーリア音楽院の名称は、音楽の守護聖人として崇められている聖女チェチーリアに因むとされています。同音楽院は1566年にローマ音楽家協会の教育機関として発足後、1876年に音楽の中等学校、そして1919年に国立の音楽院として現在に至っています。

図書館内部の様子
図書館内部の様子

 

調査開始日――。音楽院の入口を開けるやいなや、声楽や各種器楽の練習音が心地よく耳に飛び込みます。その演奏に耳を傾けながら石造りの廊下を進むと、図書館が見えてきました。フレスコ画が印象的な図書館は、蔵書数30万冊を誇り、ルネッサンス期及びバロック期の逸品や、原稿、楽譜、CD、カセット等が所蔵されています。

 

手書きの写譜原稿
手書きの写譜原稿

そのなかに、日本のイメージをもとに作曲された楽曲が、散発的に所蔵されています。この度の調査では、19~20世紀初頭に日本の舞妓や伝統芸能をテーマに作られたピアノ曲や歌曲およそ10点を収集しましたが、同館では楽譜の撮影が認められず、数日かけて手書きで五線譜に写し、その間じっくりと楽譜と向き合うことができました(左写真参照)。