学習室エッセイ

慶長遣欧使節の足跡を歩く ~ローマ編(1)~

著者
小川仁
掲載年月日
2020-02-20

昨年11月に「チヴィタヴェッキアに架かる日伊交流の架け橋」というコラムのなかで、スペインから海路で渡ってきた慶長遣欧使節が、チヴィタヴェッキアに上陸後、ローマに向かったことについて取り上げましたが、皆さんは覚えておりますでしょうか?今回はこの続編として、慶長遣欧使節のローマでの足跡を、現在のローマの様子を収めた写真から数回にわけて紐解いていきたいと思います。

慶長遣欧使節は1615年10月25日夜にローマに到着しています。その日のうちに当時の教皇邸宅であったクイリナーレ宮殿に赴き、非公式にローマ教皇パウルス5世に謁見、教皇は使節一行の道中の労を労いました。そして10月29日、教皇パウルス5世の甥にあたる枢機卿シピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿の取り計らいのもと、慶長遣欧使節一行の晴れの舞台となったローマ入市式が壮麗に執り行われました。入市式は、使節一行のローマ来訪を歓迎する、いわばパレードのようなものです。使節一行はまず、宿泊先のアラコエリ教会からひっそりと馬車で、パレードのスタート地点であったバチカンのアンジェリカ門(写真1枚目)へと向かいました。

21時にアンジェリカ門をくぐり、サンピエトロ寺院を背にして巡行を始めた使節一行は、次いでテベレ川沿いに進み、サンタンジェロ城(写真2枚目)を左側の視界におさめつつ、サンタンジェロ橋(写真2枚目の白い橋)を渡り、当時のローマの中心部へと歩みを進めて行きました。橋を渡り終えると、使節一行は現在のバンキ・ヌオーヴィ通りに入り、ゴベルノ・ヴェッキオ通り(写真3枚目)を練り歩いたようです。これら2つの通りは写真をご覧になられてもわかるように、道幅が狭く、17世紀当時の佇まいを残した地区で、ローマの昔ながらの雰囲気を味わいたい観光客の人気のエリアでもあります。これらの通りは後世になり何度か改修が加えられているものの、実際に歩いてみると、当時の人たちの息づかいや空間感覚を追体験できますし、入市式の熱気も想像することができます。(つづく)