学習室エッセイ

イエズス会士が見た「お盆」

著者
小川仁
掲載年月日
2020-08-05

イエズス会士たちは書簡を通して、日本人の習慣や風俗、祭事などを事細かに伝えています。イエズス会士ガスパール・ヴィレラもまたその例外ではなく、1562年8月17日に堺からイエズス会士らに宛てた書簡の中で、「お盆」にまつわる様々な行事を詳細に伝えています。ここでは、『東インド史』(マッフェイ著、1589年、イタリア語、日文研収蔵)に所収されている当該書簡のイタリア語訳を取り上げ、ヴィレラが目の当たりにした「お盆」をご紹介したいと思います。ヴィレラには、一体どのように「お盆」が映っていたのでしょうか?

****************以下翻訳*****************

この他にも、上記の祭り程ではありませんが、卑しむべき過ちがございます。同じ八月に、二日にわたる死者への崇敬[弔い]を守り通しているのです。多くの家々の門前では、夜更けになると、絵柄が付いて様々に装飾されたランプ[灯籠]に火を灯し、ある者は祈り[供養]のため、またある者は、このような光景を見せ物として眺めるために、夜通し町中を歩き回るのです。

そして大部分の人々は、彼らの[旧知の]故人の魂が近寄ってくる(と信じている)ので、故人の魂を迎え入れるために、日が暮れると町の外へ出ていき、ある場所へとたどり着きます。そこは、故人が自分たちに会いにやって来る場所だと信じられており、彼らは、最初に優しい言葉で故人たちを歓待します。彼らが口にする言葉は、貴方がたからしてみたら「ようこそ」といったところでしょうか。次いで、我々には殆どと言っていいほど見えないのですが、[ここを訪れた人々は故人に対して、]「しばし座して食されよ」、「旅で疲れているのだから、少し休まれよ」などと言葉をかけます。その際には米や果物をはじめとする食料をお供えする一方で、貧しい者はこのような食料を持ってくることができないため、白湯をお供えします。そして、殆ど待っているような状態で、ここに小一時間ほど留まって食べ終えると、祈りを捧げながら彼らの家に故人を招き入れるのです。彼らが言うところでは、まず家の中を整理整頓し、次いで宴の準備を進めるようです。

二日経つと平民たちは、火を灯した松明を持ち、故人に灯りを照らしながら町の外へと出ていきます。そのおかげで故人は暗がりで転んだり、何かにぶつかったりせずに出立することができるのです。その後、彼らは町に戻り、幾人かの故人が密かに[彼らの家に]留まることの無いよう、家の屋根の上に向けて小石を投げます(彼らは、故人のせいで何らかの被害を受けることを酷く恐れているのです)。とはいうものの、彼らのなかには故人に憐憫の情を抱く者もおります。と申しますのも、彼らが言うところでは、[故人の]魂は小さく、徒歩で帰路についている折に、不運にも雨に見舞われるようなことがあれば、その不幸な魂たちが、消え失せてしまうと信じられているからなのだそう。

日本人たちは「何故に[故人の]魂に食べものを供えるか」と問われると、以下のように答えます。「[故人の]魂が一千万リーグ[約48,280,320km]離れた天国へと向うのですが、道程にして3年を要するものだから、途中で疲れてしまった時に、少しでも英気を取り戻し、再び旅路に戻れるように、そこに来るから、そうするのです」と。

彼らはまた、この数日の間、全ての墓を念入りに掃除します。その時、坊主たちはと言いますと、故人の魂のために坊主たちに何もお供えできないほど貧しい者など一人もいないわけですから、放蕩に耽るということになります。

そういうわけでして、いとも親愛なる同胞である、あなた方が[この手紙を通して]目の当たりにしている、このような人々の過ちと無知蒙昧というのは、彼らが長年にわたり固執し続けているものなのです。更にそれは、大変な苦労を強いられた挙句、やっと取り除くことが出来るものなのです。善意に従い、彼らを改宗させるべく、主に祈りを捧げ給え。

 

[ ]は翻訳者による補足

 

ジョヴァンニ・ピエトロ・マッフェイ(Giovanni Pietro Maffei)『東インド史』1589年Le historie delle Indie orientali, ff. 335v~336r. [DS/411/Ma] (000874669)