学習室エッセイ

慶長遣欧使節の足跡を歩く ~ローマ編(5)~

著者
小川仁
掲載年月日
2020-09-02

使節一行のローマ来訪を歓迎する式典、「ローマ入市式パレード」の様子を、巡行ルートに沿いながら、お送りしてきました「慶長遣欧使節の足跡を歩く~ローマ編~」。前回は、ナヴォーナ広場の脇を掠め通り、現在のヴィットーリオ・エマヌエーレ2世大通りを経て、アルジェンティーナ塔広場付近を練り歩いたところまでお伝えしました。今回は、ジェズ教会までの様子をご紹介していきたいと思います。

オリーゴ邸とベッソ邸
オリーゴ邸とベッソ邸

現在のアルジェンティーナ塔広場は、バスとトラムが行き交う市内交通のターミナルとなっており、遺跡の半地下構造を活かした野良猫の保護施設などもあります。そこからヴィットーリオ・エマヌエーレ2世大通りを挟んで広場の真向かいに目を向けてみると視界に飛び込んでくるのが、イタリア最大手の書店の一つで、真っ赤な看板が目印のラ・フェルトリネッリ書店です。興味深いことに、この書店は約400年前に建てられた二つのパラッツォ(邸宅)から構成されています。一つ目はオリーゴ家邸、そして二つ目はベッソ家邸です。オリーゴ家邸は17世紀中ごろに建てられているので、慶長使節一行がこのパラッツォを目にすることはなかったかと思いますが、現在のベッソ家邸は、使節一行来訪時の1615年にはルシティーチ家とオルジァーティ家が所有しており、使節一行がこのパラッツォの間近を通 過していったことでしょう。もしかしたら、これら貴族の関係者が沿道から支倉常長一行のパレードを見物していたかもしれません。

ジェズ教会
ジェズ教会

現在のラ・フェルトリネッリ書店至近を通過した使節一行の視界正面に続いて飛び込んでくるのは、盛期ルネサンスの集大成の建築物であるジェズ教会です。16~17世紀、飛ぶ鳥を落とす勢いで、日本をはじめとした世界各地で宣教活動に勤しんでいたイエズス会修道会に、大貴族ファルネーゼ家が出資して建てられたジェズ教会には、使節一行がローマを訪れた当時、イエズス会本部が置かれていました(現在のイエズス会本部はバチカンの近くにあります)。支倉常長ら日本人使節団は、その荘厳な建築に目を奪われたでしょうが、使節を日本から引き連れてきたフランシスコ会修道士ルイス・ソテーロの胸中は、穏やかなものではなかったことでしょう。というのも、フランシスコ会による日本宣教は、イエズス会がそれをはじめてからだいぶ経ってからのことであり、双方は日本において宣教利権争奪戦を繰り広げていたからです。事実、日本で活動していたイエズス会士らは、慶長遣欧使節が日本の一領主が送りだした使節に過ぎず、ソテーロの人柄には相当問題があるとの旨を記した書簡をイエズス会本部に宛てています。こうした使節団に関する否定的な情報は、使節一行の最も重要な交渉相手であったスペイン本国も掴んでいました。このようなことが遠因となり、使節団派遣の最重要課題であったスペイン領ヌエバ・エスパーニャ(現・メキシコ)との通商関係樹立は、雲行きが怪しくなりつつあったのです。ローマを訪れた頃の慶長使節団は、入市式パレードでの華やかさとは裏腹に、外交交渉において一層厳しい状況に追いやられており、支倉常長に圧し掛かるストレスも相当なものであってことでしょう。 (つづく)