学習室エッセイ

慶長遣欧使節の足跡を歩く ~ローマ編(6)~

著者
小川仁
掲載年月日
2020-09-16

慶長遣欧使節の晴れ舞台となったローマ入市式パレードの様子を、5回にわたりお伝えしてきた「慶長遣欧使節の足跡を歩く~ローマ編~」。使節に同行し、道中の記録を残したアマーティによる入市式パレードの記述や、巡行ルートを追いながら沿道の様子を紹介してきた本シリーズも、今回が最終回となります。使節一行の入市式パレードのゴールはどのような場所だったのでしょうか。

アラコエリ広場(小川撮影)
アラコエリ広場(小川撮影)

前回は、慶長使節一行がジェズ教会に差し掛かったところまでお伝えしました。使節一行は、このジェズ教会を正面に臨み、そこから右に折れ、現在のアラコエリ通りへ入っていくこととなります。当時の地図を見ますと、この通りには枡形の狭いカーブがありましたが、現在では細い路地ながらも見晴らしの良い一本道になっています。アラコエリ通りをしばし進んでいくと、突然視界が開け、アラコエリ教会の大階段が眼前に飛び込んできます。この教会こそがパレードのゴールでした。

アラコエリ教会正面の広いスペースは、アラコエリ広場と呼ばれており、現在、教会左手にヴィットーリオ・エマヌエーレ二世記念堂、右手にローマ市庁舎を中心に据えたカンピドーリオ広場が一望できるローマの観光スポットの一つとなっています。しかし、記念堂は1925年に完成したものなので、慶長使節のローマ来訪時には、当然ながら見る影もありませんでした。慶長使節一行が逗留先であったアラコエリ教会を目の当たりにした時には、とりあえず大任を果たして安堵したに違いありません。

アラコエリ教会より眺める夕日(小川撮影)
アラコエリ教会より眺める夕日(小川撮影)

正式名称サンタ・マリア・イン・アラコエリ教会は、14世紀の創建で、現在に至るまでフランシスコ会の修道院が併設されています。日本から慶長使節に同行していたソテーロがフランシスコ会士であってことから、ここが使節一行の逗留先に選ばれたのでしょう。支倉常長が逗留した部屋は、現存していないようです。1615年に10月29日に挙行されたローマ入市式。慶長遣欧使節一行は1616年1月7日にローマを離れるまで、教皇謁見式、使節随行員の小寺外記の受洗式、前段で少し触れたローマ市庁舎での公民権証授与式、ローマ七大寺巡礼など、多くの重要な式典に臨んでいくこととなります。

右の画像はアラコエリ教会の大階段上から眺めるローマの夕日です。支倉常長らも同じような夕日をこの場所から何度も眺めたことでしょう。そのとき彼らは何を胸に抱いたのでしょうか。(完)