学習室エッセイ
長岡京ガラシャ祭記念シンポジウム「明智光秀と細川ガラシャ」レポート
- 著者
- 光平有希
- 掲載年月日
- 2020-11-25
11月8日(日)に、京都府長岡京記念文化会館にてシンポジウム「明智光秀と細川ガラシャ」が開催され、日文研より井上章一所長、フレデリック・クレインス教授、呉座勇一助教、そして東京大学の郭南燕特任教授が登壇しました。
第1部の講演会では、まず呉座助教が「細川ガラシャはどこで生まれたか?」というタイトルで、ガラシャ生誕地として意見が分かれる越前説と近江説を示し、各説の典拠となっている史料の信憑性に迫りました。
次に登壇したクレインス教授は、「日欧史料が語るガラシャの人物像」と題し、ガラシャの情報をヨーロッパに伝えたイエズス会の日本年報やガラシャがグレゴリオ・デ・セスペデスに宛てた手紙、さらにはガラシャが侍女に宛てた手紙といった西洋側・日本側の一次史料をもとに、周りの人に気配りを示す気さくで優しいガラシャの人物像を提示しました。
続いての講演者・郭南燕特任教授は、2017年まで日文研に在籍されており、今回は「細川ガラシャは、なぜキリシタンになったのか」というテーマでお話をされました。政治的に翻弄されたガラシャの半生を振り返った後、史料に基づきつつ父・光秀に対する想いや洗礼名「ガラシャ」を選んだ際のガラシャ自身の心情を読み解き、宗教者として愛情深く、また力強く生きた姿を紹介しました。
そして最後に登壇した井上所長は、「美貌という幻想」というテーマに基づき、ガラシャは本当に美しかったのかどうかについて日欧史料を紐解きつつ、ガラシャ美人論はイエズス会関連史料によって西洋に伝えられたガラシャ像が逆輸入の形で日本に定着したという説を力強く語りました。
第2部におこなわれた全登壇者での座談会では、光秀ならびにガラシャ関連一次史料の信憑性、そして歴史上の人物像を描くことの難しさについて非常に白熱した議論が交わされ、総勢460名の来場者含め会場は大いに盛り上がりました。