学習室エッセイ

イタリア文書館探訪 コロンナ文書館(3)

著者
小川仁
掲載年月日
2020-12-23

今回3回目となる「イタリア文書館探訪コロンナ文書館編」。前回までは、ローマ近郊にあるコロンナ文書館が、スビアーコのベネディクト修道会サンタ・スコラスティカ修道院図書館に移設された経緯、コロンナ文書館が併設されているサンタ・スコラスティカ修道院図書館などを見てきました。今回は、コロンナ文書館に収蔵されている日本関係文書のなかで、天正遣欧使節関連史料を見ていきたいと思います。

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ローマの一大貴族、コロンナ家の史料が網羅的に収蔵されているコロンナ文書館。その収蔵史料数が膨大であるのはもちろんのこと、その種類も多岐にわたっており、コロンナ家歴代当主に宛てられた書簡、楽譜、詩集、政治論文、贖宥状、城塞の設計図、庭園の図面、支配領域の地図、海図、家計簿、議事録、法令集、裁判記録等々、挙げたら枚挙に暇がありません。これら史料群は、史料の性質毎に分類された箱(バンドル)などに収められ、大切に保管されています。

このようなコロンナ家の文書史料に、なぜ日本関係史料が含まれているのでしょうか。

それはコロンナ家と、1585年にイタリアを歴訪した天正遣欧使節、および1615年にローマに来訪した慶長遣欧使節との深い関わり合いのあいだに見ることができます。

伊東マンショら四少年から成る天正遣欧使節が、スペインのアルカラを訪れた際に、アスカニオ・コロンナ枢機卿も当地に滞在しており、4人の少年たちにリュート、グラヴィチェンバロ、グラヴィコード、アルパ、ヴィオラ・ダ・ガンバといった楽器を贈っています。彼ら四少年は、帰国後の1591年3月3日(天正19年閏1月8日)、聚楽第での秀吉謁見の際に、これらの楽器を演奏したのでした。アスカニオ・コロンナ枢機卿は文才豊かにして好奇心旺盛な人物で、非ヨーロッパ世界にも並々ならならぬ関心を抱いており、その溢れんばかりの興味関心が高じて、日本人の四少年に楽器を贈ったのでした。また、アスカニオはアルカラでの天正使節との邂逅後も、南欧各地に張り巡らされたコロンナ家の情報網を用いながら、天正使節の動向の把握に努めており、それらを裏付けるアスカニオ・コロンナ宛の書簡が5通ほど、コロンナ文書館に収められています。これら5通の書簡は、どれも天正使節のバチカンでの活動の様子、同時期のローマの細かな動向が綴られています。ローマから南東に40㎞離れたコロンナ家の本拠地パリアーノに滞在していたアスカニオが、天正使節を始めとしたローマの様子を把握するために、認められたものと考えられます。

また、コロンナ文書館の天正遣欧使節関連史料にはもう一つ興味深いものがあるのですが、それは次回見ていきましょう。