学習室エッセイ

ウィリアム・アダムス(三浦按針)にまつわるこぼれ話

著者
フレデリック・クレインス
掲載年月日
2021-07-14

ウィリアム・アダムスは16世紀後期から17世紀初めにかけて船乗りとして活躍したイギリス人だ。イギリス海軍がスペインの無敵艦隊に勝利した際に、イギリス艦隊の船長の一人として参加した。その後、イギリス・モロッコ間の貿易を独占する会社が運用する船の船長あるいは舵手として勤めた後、オランダの船団に舵手として参加し、世界一周を試みた。もともと5隻で編成されたこの船団のうち、アダムスの乗った1隻リーフデ号だけが日本に辿り着いた。それは関ヶ原合戦の半年前のことだった。日本では家康の信頼を得て、側近となった。アダムスは江戸幕府創設期の日本の外交政策に多大な影響を及ぼしながらも、家康死去後はその影響力を失い、最終的に平戸で病死するという波瀾万丈の人生を歩んだ。以下、アダムスにまつわるこぼれ話を拾ってみる。

①ほぼ同時代に活躍したウィリアム・アダムスと細川ガラシャ。彼らの情報はそれぞれに西洋へ伝わった。19世紀になると、二人が出会っていたとする虚構仕立ての著述が西洋の書籍でみられるようになった。20世紀に創作されたクラベルの小説『将軍』もその虚構から着想を得たものだ。

②家康によるキリシタン弾圧。そのきっかけを作ったのはアダムスだと当時のスペイン人が記している。キリシタン弾圧には日本国内の事情だけでなく、当時のイギリスとスペインとの間の関係も深く関わっている。

③アダムスがシャムに渡航しようとした時のこと。知行を加増してもいいから、もう海外へは行かずに日本に留まってほしいと家康はアダムスに懇願した。アダムスのことをよほど愛していたようである。

④掲載画像は、日文研所蔵洋書『ウィリアム・アダムス─日本での最初のイギリス人』(ウィリアム・ダルトン著、ロンドン、1866年刊)という小説に掲載されている挿絵である。アダムスが家康に謁見する場面を描いている。一番右に立っている人物はアダムスで、その隣に同じくリーフデ号乗組員だったファン・サントフォールトがいる(小説と違い、実際にはこの場にいたのはヤン・ヨーステンのはずだが)。家康は左側の台座の上に正座姿で描かれている。地面に膝を付けて彼らの間に控えているのはイエズス会士の通訳である。