学習室エッセイ

開国期以前の滞日西洋人が伝えた日本の音・音楽(1)

著者
光平有希
掲載年月日
2021-09-02

東西の音を比較したフロイス

西洋諸国において、日本についての情報や認識は、日本の開国以降飛躍的に増大しました。しかし、日本情報が大量に西洋にわたる前の時代、つまりキリスト教伝来期から開国期以前にも欧米人がさまざまな立場で来日し、日本の音楽(より広くは音文化)についての感想を書き残しています。そこには、当時の西洋の耳で感じた「日本の音」観、あるいは「日本の音楽」観を認めることができます。初めて聴く日本の音・音楽に彼らはどのような反応を示したのでしょうか、本コラムではフロイス、ケンペル、ツンベリー、シーボルト、メイランという著者にスポットを当ててご紹介します。

初回はまず、ポルトガル人のイエズス会士ルイス・フロイス(15321597)の記述に目を向けてみます。フロイスは1563(永禄6)年7月に来日し、あいだに3年間のマカオ行きを含みながらも1597年までのおよそ30年間を日本で過ごしました。彼は自著である『日欧文化比較』(1585)の第13章で「日本の音楽ときたら、どれもこれも、ただ単調音がキシキシと響くだけで、これ以上はないほどぞっとさせるような代物である」と述べています。中世の教会音楽全盛時代が過ぎ去ったとはいえ、16世紀のヨーロッパではなおオルガンを中心とした教会音楽が隆盛を誇り、純粋協音程が重んじられていた時代です。それに対し、日本の音楽は単声的であり、そのことがフロイスの耳には単調な音として届いたのでしょう。

また、同章では「ヨーロッパの諸国民においては(歌うとき)必ず声を震わせるが、日本人はまったく声をふるわせない。」とも述べています。ここでいう「声のふるえ」とは、西洋音楽での楽器演奏や歌唱において音を伸ばすときに音高を保ちながらその音の高さを揺らす奏法、つまりビブラートのことを指していると思われます。西洋音楽ではビブラートが多用されるのに反して、日本の伝統的な声楽法にビブラートは用いられず、かつ裏声ではなく地声で発声するものが多く、この西洋の発声法との違いにフロイスは着目しているのです。

さらに彼は、「通常、我々は貴人の音楽は下賤のものの音楽よりも快美である。日本の貴人のそれらは、我々には聞くに堪えないもので、船乗りの(歌曲)の方が我らの気に入る。」といいます。「日本の貴人」の音楽がなにを指すのかについては定かではありませんが、時代から考えて琴や琵琶の音色でしょうか。それはフロイスにとって「聞くに堪えない」ものだったようです。むしろ音価や響きに揺れがあるからか、民謡のような船乗りの歌に共感しているところはとても興味深いことです。このように、フロイスにとって、初めて耳にする日本の音楽は、それまでの彼の聴覚文化にはない音色であり、大きなカルチャーショックを受けている様子がうかがえます。

参考文献:松田毅一、E・ヨリッセン『フロイスの日本覚え書き』中央公論社、1983年、131132頁。