学習室エッセイ
開国期以前の滞日西洋人が伝えた日本の音・音楽(2)
- 著者
- 光平有希
- 掲載年月日
- 2021-09-08
「音楽通」ケンペルが聴いた和の調べ
滞日西洋人としてその名をよく知られるドイツの博物学者・医師エンゲルベルト・ケンペル(1651-1716)も日本の音楽に関する記述を残しています。ケンペルは、江戸中期、1690(元禄3)年9月から1692(元禄5)年9月までの2年間、オランダ商館付の医師として出島に滞在しました。音楽好きとして知られるケンペルの著書『日本誌』には、31番目の図版として篳篥や鞨鼓といった雅楽器、チャッパや三味線など歌舞伎や下座音楽で用いられる邦楽器が紹介されています。
同書には音や音楽に関する記述もあり、例えば「長崎くんち」のお囃子についてケンペルは次のように述べています。
囃子は、笛と太鼓と人声で構成され、ときおり大太鼓、鉦、鈴が加わる。このお囃子は、神々には結構楽しいものなのであろうが、音楽通の耳には味気なく、他愛無いものとしか聞こえない。歌は、ある種の台本によって、時々調子を変え、ゆっくりした踊り、表情、手振り足振り、身のこなしにはよく合ってはいるが、歌い方はいかにも下手で、歌っているというよりは、まるでだらだらと単調な旋律で唸ったり吼えたりしているようにしか聞こえない。
1634(寛永11)年を始まりとする長崎の氏神「諏訪神社」の秋季大祭「長崎くんち」は、「シャギリ」と呼ばれる笛と締太鼓から成るお囃子の音色が祭りの活気を高めることで知られています。日本人の私たちは、今でも祭りのお囃子を聴くとどこか高揚感を掻き立てられますが、「音楽通」と自称するケンペルの耳にはそれらの音色が「味気なく、他愛無い」ものとして届き、歌も「単調な旋律で唸ったり吼えたりしている」ように聴こえたようです。
そのほか『日本誌』には、物乞いが鳴らす八打鉦も登場します。その音色についてケンペルは、「両手の小槌で金を敲き、粗野な旋律を奏でる」あるいは「あまり抑揚のない音楽を奏でる」と述べています。ここで着目したいのは、この鉦の音色が「粗野」であり「抑揚がない」としつつも、ケンペルにとっては「旋律」であり「音楽」と捉えられたということです。ケンペルも日本の音楽に違和感を覚えているようではありますが、コラム①で紹介したフロイスが、日本の音や音楽を西洋と比較して敬遠する姿勢に対し、ケンペルの耳は民衆間で響くお囃子や鉦を淡々と「音楽」として捉え、日本の音・音楽文化をやや受け入れている感があります。
参考文献
Kaempfer, Engelbert.The history of Japan.1727.(国際日本文化研究センター所蔵)