学習室エッセイ

開国期以前の滞日西洋人が伝えた日本の音・音楽(3)

著者
光平有希
掲載年月日
2021-09-22

ツンベリーが評した不完全な音楽、シーボウルトが伝えた邦楽器

今回着目するスウェーデン人の植物学者・医師カール・ペーテル・ツンベリー(17431828)は、江戸後期の1775(安永4)年8月から翌年12月にかけて、ケンペルと同じくオランダ商館付医師として出島に滞在しました。自著である『江戸参府随行記』では、長崎の港で小舟が大船を曳航するときの「船こぎ歌」や「籠かつぎの歌」といった仕事歌を客観的に描写していますが、ここには自身がそれに対してどのように感じたかについては触れられていません。ところが「催事の娯楽と催し」と題された項目では、長崎諏訪神社の祭礼音楽について「がらがらという音を立てているだけで、我々人間よりも神様の耳に心地よく響いているように思われた」と述べています。遠回しな言い方ではありますが、この記述からツンベリーにとってそこで耳にした祭礼音楽は「音楽」ではなく「音」として捉えられていたことが分かります。また、同じく「学問」の項目には次のような記述もあります。

音楽もまたかなり尊重されているが、これまでに日本人が自分たちの楽器を完全に奏でたことも、ある程度うまく合奏したこともなかった。祭りなどの貴会には、太鼓、笛、弦楽器、鉦、鈴や他の楽器を奏でる。女性はとりわけ音楽を愛好しており、このような楽器の習得につとめる。なかでも、とりわけ指で弾くリュートに似た四弦の楽器(琵琶)を奏でるのであり、そのため幾晩も夜を徹する。しかしその音色は快いとはいえない。琴は、ハックブレーデと呼ぶ我々の楽器によく似て沢山の言があり、木の爪で弾く。そして彼らの楽器のなかで最も好ましい音色を出すことは確かである。

ここで気になるのは、ツンベリーにとっての「楽器を完全に奏でる」あるいは「うまく合奏」するとは一体どのようなことなのだろうか?ということです。彼が生きた時代の西洋音楽は調性が確立し、数理的に調和する音程とリズムにさせられていました。合奏において音が数理的に協和すること、リズムが時間的に少しも狂わず揃うこと、それがヨーロッパ的な意味での音楽の完全性でもありました。それに対し、原理的に単声であることや、リズムやテンポを微妙にずらしたりすることで、異なった装飾や音型が生じ、偶発的な瞬間の美を包含するヘテロフォニックな日本の伝統音楽が、西洋の文脈においての「完全に奏でられ、うまく合う」ということはありえません。そうした西洋と日本の文化に育まれた音楽観や聴覚の違いを、ツンベリーは自身の感想の中で端的に指摘しているのでしょう。そして、ツンベリーは琴の音を好み、琵琶の音は嫌いだったということも先の記述から分かります。

シーボルト『日本』( シーボルト『日本』( 1852 年) [国際日本文化研究センター所蔵]
シーボルト『日本』( シーボルト『日本』( 1852 年) [国際日本文化研究センター所蔵]

邦楽器については、ドイツの博物学者・医師であり、1823(文政6)年から1828(文政11)年までの5年間、日本に滞在したシーボルトもまた、図版で多くの記録を残しています。無類の音楽好きで、来日の際には自身のピアノを持ち込んだと言われるシーボルト(17961866)は、著書『日本』(18321851)において右図のような様々な楽器の図版を掲載しています。ツンベリーが言及した琴や琵琶のほか、三味線や胡弓といった弦楽器、また、打楽器についても様々な鼓の形状を記しています。そのほか『日本』には笙や篳篥といった雅楽器も実に精巧な図版として描かれています。音の描写や記録だけでなく、楽器の形状や質感までもが19世紀前半に伝えられているというのは非常に興味深い事実です。

参考文献

ツュンベリー『江戸参府随行記』高橋文訳、平凡社、1994年、6799頁、286頁。

Thunbergs, Karl Peter.  Ritters des Königlichen Schwedischen Wasaordens, 1792-1794.(国際日本文化研究センター所蔵)

Siebold, Philipp Franz von. Nippon : Archiv zur Beschreibung von Japan und dessen neben-und Schutzländern, Jezo mit den südlichen Kurilen, Krafto, Kooraï und den Liukiu-Inseln,1852.(国際日本文化研究センター所蔵)