学習室エッセイ

舞台化される日本イメージ(2)

著者
光平有希
掲載年月日
2021-10-20

1880年代~1890年代

初代英国公使であり、イギリス人初の在日総領事も務めたラザフォード・オールコック(18091897)が自身の滞日経験をもとに著わした小説『大君の都』が大ヒットすると、1880年代のヨーロッパでは、「タイクーンtycoon」という言葉が、日本を連想させる用語として定着していきました。ところが、当時の劇作品に目を向けてみると、大半の作品で日本の支配者が「ミカド」と表現されています。それは一体どういうことなのか――。要因は、スペンサーというイギリスの劇作家であり音楽家が、1882 年から丸3年間、「将軍」を示す「タイクーンtycoon」(大君)という用語を商標として所持したことにありました。というのも、1882年スペンサーは『小さな大君』(台本、音楽:W.スペンサー/初演:フィラデルフィア、1882年)を上演します。その時、他者が同じ題目が使えないように、商標登録に踏み切ったのでした。この時期は、日本を題材にした演目も海外公演などが活発化した一方で、海賊版やスコアの盗み写しなどが横行し、ショービジネスにおける商標登録が重要性を帯びて来た時代でもあったのでした。そのような中で、サヴォイ・オペラの『ミカド』(台本:S. ギルバート/音楽:アーサー・サリヴァン/初演:ロンドン、1885年)が大ヒットし、世界を席巻する中で「ミカドmikado」という単語が日本の代名詞として広まっていきます。同年にはロンドンで『グレート・タイキン』『ジャップス』といったオペレッタも相次いで公開され、日本を表象する用語も多様性をもちはじめていきます。

1887 年には、フランスの海軍士官で作家としても活躍したピエール・ロティの小説『お菊さん』が発表されます。この小説はロティ自身の長崎滞在に基づいた半自伝的な内容でもあり、異例の大ヒットとなった作品です。1893 年にはジョルジュ・アルトマンとアンドレ・アレクサンドルによる台本、アンドレ・メサジェが音楽を担当してオペラ化され、パリで初演を迎えています。その頃、バレエでは『夢』(台本:E.ブロー/音楽:L. G. ガスティヌル/初演:パリ、1890年)、オペラでは『ゲイシャ』(台本:オーウェン・ホール/音楽:シドニー・ジョーンズ/初演:ロンドン、1896年)が相次いでヒットを飛ばし、1890年代のヨーロッパでは日本表象舞台作品の爛熟時代が続いたと言えます。

さて、1894 4 月から1895 11月末にかけては日清戦争が勃発。近代国家として歩み始めた日本が大国に勝利したことは、西洋の日本の見方を大きく変化させました。そうした中で、1896 年に初演された『ゲイシャ』には、これまでの主な作品とは大きく異なる特徴が認められます。というのも、これまでは空想の世界として描かれることが多かった劇中の日本が、『ゲイシャ』ではリアルタイムに存在する国として描かれているのです。そして、芸者の競売という人身売買が嬉々として行われるような封建的な社会である日本を同時代人として描くことで、日本は依然として自分たち(西洋)より遅れた社会であると、西洋の優位が位置づけられていきます。言い換えれば、オリエンタリズムの枠組みにおいて、日本をあくまで「遅れた他者」として、おとぎの国に押し込めておきたい西洋社会の願望が、ここには表わされているといえるのかもしれません。歌劇『ゲイシャ』は『ミカド』の興行成績を越え、3 年間にわたる連続公演記録は760 回という金字塔を打ち立てました。

社会的変革に伴って日本に対する見方が変わるにつれ、日本イメージの描き方も変化していきます。1870年代から喜劇が大半を占めていたこの種の演劇において、初めて明確な悲劇として描かれたのがイタリアのオペラ『イーリス』(台本:ルイージ・イッリカ/音楽:ピエトロ・マスカーニ/初演:ローマ、1898年)です。本作は、1898 1122 日、ローマのコンスタンツィ劇場で初演されました。若い富豪オーサカはキョートと謀って、美しい盲目の娘イーリスを誘拐し、遊郭に囲い込みます。オーサカは遊郭に足しげく通い、イーリスに猛烈アプローチをするも、その告白にイーリスが振り向くことはありません。その頃、イーリスが自ら遊郭に向かったと勘違いした父チェーコは激怒し、娘を勘当してしまいます。絶望したイーリスは井戸へと身を投げ、死の縁で自らの運命を嘆きながら、朝日に照らされた庭で息絶えるというシナリオです。劇中の通称「蛸のアリア」は、北斎の浮世絵「蛸と海女」から着想したといわれており、隆盛を極めた典型的なジャポニスム作品の系譜の上に成り立っている作品でもあります。(執筆:光平有希)

参考文献

岩田隆『ロマン派音楽の多彩な世界—オリエンタリズムからバレエ音楽の職人芸まで』朱鳥社、2005年。

多和田真太良『19世紀西洋演劇におけるジャポニズム: 「日本」の表象の変遷』学習院大学大学院博士論文、2017年。

馬渕明子『舞台の上のジャポニズム—演じられた幻想の〈日本女性〉』NHK出版、2017年。