学習室エッセイ

江戸時代のミイラ熱

著者
フレデリック ・クレインス
掲載年月日
2022-06-08

BS松竹東急のバラエティ番組「号外!日本史スクープ砲」で長崎オランダ商館文書が取り上げられます!

番組名:江戸時代の感染症対策と将軍も愛したミイラの真実
放送日時:6月12日(日) 21:00 – 22:00

 江戸時代にオランダ人は日本にエジプトのミイラを舶載してきました。当時のヨーロッパでミイラは万能薬の材料として利用されていました。そのため、エジプトからミイラが大量にヨーロッパに輸出されました。ピラミッドから盗まれた本物のミイラも多かったようですが、模造品も数多く出回っていました。

江戸時代には西洋医学が漢方医学よりも優れていたというイメージが定着していますが、現代医学に繋がる医学革新が起こったのは19世紀半ば以降です。当時、西洋医学で優れていたといえるのは、解剖学と外科学の分野でした。病気の治療については、西洋医学も漢方医学もいわば暗中模索状態でした。そのような状況下で人間は魔法のような特効薬に飛びつくものです。

ミイラはすでに中国経由で日本でも知られていました。貝原益軒は『大和本草』(宝永7年刊)において「木乃伊」(ミイラ)を万能薬として紹介しています。また、蘭学者たちも関心を寄せました。大槻玄沢は『六物新志』(天明6年序)で六種の薬物について考証し、そのうちの一つがやはり「木乃伊」(ミイラ)でした。

学者だけでなく、将軍もミイラの薬効に注目しました。オランダ商館長デ・ウィンの日記(ハーグ国立文書館所蔵)の1746年1月3日条に、次の通りに書かれています。

「今朝、通詞たちが全員で皇帝〔将軍〕およびほかの大名の注文を伝えてくれた。その詳細は下記の通り。

皇帝〔将軍〕のため

雄の虎犬3匹

ミイラ200ポンド。別紙の通り、去年注文があったが、まだ到着していない。」

以下に日記におけるミイラの記述のある部分の写真を掲載します。ミイラ(momie)に下線を付しています。この時の将軍は徳川家重でしたが、実際の注文者は大御所となった吉宗であると思われます。