学習室エッセイ
シーボルトが採譜した日本の音
- 著者
- 光平有希
- 掲載年月日
- 2020-07-07
1836年、シーボルト採譜、キュフナー編曲による曲集《日本の旋律》がウィーンで出版されました。ドイツ人医師にして博物学者のフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(Philipp Franz von Siebold:1796~1866)は、日本滞在中に自身が耳にした音・音楽を採譜し、帰国後、それを基にした作品づくりをドイツ人作曲家ヨーゼフ・キュフナー(Joseph Kuffner :1776~1856)に依頼しました。こうして誕生したのが《日本の旋律》です。
7 曲から成る《日本の旋律》には、ピアノ曲のほか、「シーボルトのかっぽれ」と称される歌曲(第2 曲)も含まれています。ローマ字つづりの日本語で「Anokomitasani jorekorekorewatosa (あのこ見たさにやれこれこれわとさ)」や「Boosunikapore(坊主にかっぽれ)」とあるのが注目されます。「かっぽれ」とは、俗謡にあわせた滑稽な踊りで、江戸時代に住吉大社の住吉踊りから変じたものです。のちに寄席に登場して人気が高まり、芸者がお座敷で余興として歌い踊るなど、江戸後期から明治期にかけて広く知られた芸能でした。
《日本の旋律》は、いずれも西洋的な和声・リズムで肉付けされ、聴覚的に日本らしさはあまり感じられません。しかしながら、日本の音楽が西洋に伝えられた最も初期の例として、その歴史的価値は高いといえるでしょう。また、本作品第2 ・5 番目の曲を下地にして、〈日本の舟歌〉という作品も生まれています。生みの親フェルディナント・バイエル(Ferdinand Beyer:1806~1863)は、ドイツの作曲家、ピアニストであり、日本でも長く親しまれているバイエルのピアノ教本(《ピアノ奏法入門書》Vorschule imKlavierspiel )を書いた音楽家としても知られています。このようにシーボルトが採譜した日本の音は、後世の西洋音楽家の創作意欲をも刺激しました。
さて、シーボルトはピアノを日本に持ち込んだ人物としても知られています。無類の音楽好きであった彼は、1823年にピアノを携えて来日。そのピアノは、1819年に制作されたイギリスWm.Rolfe & Son’s製のスクウェアピアノ(長方形)でした。これは現存する日本最古のピアノとも言われており、そのことから、彼がピアノを持ち込んだ7月6日は「ピアノの日」に指定されています。このピアノはシーボルトが帰国する時に、山口の萩に住む豪商熊谷家に
贈られ、現在も熊谷美術館に保存されています。