学習室エッセイ

「モノと史料をつなぐ」シリーズ 第三回 平戸藩主とオウム 平戸オランダ商館文書にみられるモノ(3)

著者
クレインス桂子
掲載年月日
2022-11-02

平戸藩主とオウム

シャム(アユタヤ)にあるオランダ商館の商務員ランベルト・ヤーコプセン・ヘインより平戸オランダ商館長ジャック・スペックス宛の1610年3月28日付書状には、当時の平戸藩主松浦鎮信所望のオウムの話題がみられる。ヘインは、平戸藩主のためにオウムを送付してくれるようにスペックスから書状で依頼されていたが、シャムで立派なオウムが入手できず、また、適切な運搬の機会もなかったためにできなかったとの旨を次の通りに伝えている。

貴殿の〔1609年10月24日付〕書状における〔平戸〕藩主のために立派なオウムを送ることにつ いて、貴殿はとても重視しているが、今立派なものを一羽も入手できなかった。また、それを送る適切な機会もなかった。なぜなら、メルヒヨル・ファン・サントフォールトが今年当地で冬を過ごしたからである。

スペックスは、オランダ東インド会社の船が初来航した1609年に来日し、同年9月に初代の平戸オランダ商館長に就任している。スペックスからヘイン宛の書状は1609年10月24日付に記されているので、商館長就任後間もない時期に、平戸藩主のためにオウムを入手するよう依頼をおこなっていたことになる。

ヘインから届いた書状の返事として、スペックスが前便以来1年ぶりに書いたヘイン宛の1610年11月付書状では、前便でオウムの送付を依頼したにもかかわらず、ヘインから送付できなかったとの返事を受けて、再度の依頼がおこなわれている。

当地の〔平戸〕藩主〔松浦鎮信〕の依頼により、私の前述の〔1609年10月24日付〕書状で貴殿に書いたオウムに関して、もしもメルヒヨル・ファン・サントフォールトが来年に当方に来航するか、あるいは何らかの他の機会があって、貴殿が一羽を入手できれば、どうか送ってくれるように改めて貴殿にお願いする。その人〔平戸藩主〕は貴殿に思い出してもらうために、再び覚書を通じて、心を込めて1~2羽のクジャクも含めて、依頼した。というのも、当地では、他の国から舶載され、入手が困難であると考えられる、そのような物の方が、現金あるいは当国内にある他の物から成る大きな贈物よりもより評価され、より歓迎される。

この書状では、平戸藩主はこの依頼が忘れられないように、自らの覚書も一緒に送付させていることが伝えられている。また、今回、平戸藩主はオウムのほかにクジャクもシャムから入手するようオランダ人に所望していた。
日本では入手できない異国の珍しいモノが日本では好まれる。そのようにスペックスは観察している。

*以下に両書状の冒頭部分の写真を掲載した。

ランベルト・ヤーコプセン・ヘインよりジャック・スペックス宛書状、シャム、1610年3月28日付(ハーグ国立文書館所蔵1.04.02, no. 1054, ヘイン送信書状控綴帳fos. 15rv、写し)冒頭部分Nationaal Archief, Den Haag, Verenigde Oostindische Compagnie (VOC), nummer toegang 1.04.02, inventarisnummer 1054.

ジャック・スペックスよりランベルト・ヤーコプセン・ヘイン宛書状、平戸、1610年11月付(ハーグ国立文書館所蔵1.04.02, no. 1054, fos.6-9 写し)冒頭部分
Nationaal Archief, Den Haag, Verenigde Oostindische Compagnie (VOC), nummer toegang 1.04.02, inventarisnummer 1054.