学習室エッセイ

ルイス・フロイス『日本史』を読みなおす①

著者
呉座勇一
掲載年月日
2022-11-09

ルイス・フロイスの略歴

西欧の15,16世紀を一般に「大航海時代」という。この時代、ヨーロッパの貿易商人やキリスト教宣教師たちが世界中に進出した。そして彼らは戦国時代の日本にも押し寄せた。
来日した宣教師の中で、フランシスコ・ザビエルと並ぶ知名度を誇る人物は、イエズス会宣教師のルイス・フロイスであろう。彼は当時、最も優れた日本観察者であった。
彼の主著『日本史』は、イエズス会の命令を受けて執筆した日本布教史であったが、信長や秀吉の人物像に多くの紙幅を割くなど、布教とは直接に関係ない“脱線”的な内容もずいぶん述べられている。そのためフロイスの『日本史』は、16世紀の日本の風俗、文化、芸術、政治、宗教を外国人の目から見た好個の史料として、教会史研究のみならず戦国時代研究全般において盛んに活用されてきた。
しかしながら、一般に異邦人の観察記には先入観や偏見が混じることがしばしばあり、フロイスの『日本史』も例外ではない。フロイスの記述は伝聞情報、噂に基づくものも多く、またフロイス自身、脚色を好んだ節が見られる。本連載では、フロイスの記述を日本側史料と突き合わせることで、より正確な戦国日本像に迫りたい。
まずルイス・フロイスの前半生の略歴を確認しておこう。フロイスは1532年にポルトガルの首都リスボンに生まれた。14歳の時にリスボンの王立事務局で書記として働き、1548年にイエズス会に入会した。すぐにインドのゴアに派遣され、そこでフランシスコ・ザビエルが創設した聖パオロ学院で宣教師としての教育を受けた。1554年にマラッカに赴いたが渡日できず、1557年にはゴアに戻った。
フロイスはゴアで文筆の才能を見出され、アジア各地から届いた書簡を整理し、ヨーロッパ向けの報告書を編集する仕事を担当した。日本から届いた書類も扱ったので、フロイスは来日前から日本に関する基本的な情報を得ていた。
1562年にフロイスはマラッカ経由で日本に向かい、1563年7月6日、佐世保湾内の横瀬浦に第一歩を印した。九州で日本語の勉強に励んだ後、1565年1月31日、京都に到着した。