学習室エッセイ
シートミュージックにみる日露戦争へのまなざし
- 著者
- 光平有希
- 掲載年月日
- 2022-12-07
1904年から翌1905年、日露戦争を題材としたシートミュージックが多数生まれ、その時期にアメリカで刊行された多くの楽譜を日文研は所蔵しています。日露戦争は、1904(明治37)年2月から1905(明治38)年9月にかけて、日本と南下政策を進めるロシアとの間で戦われました。朝鮮半島と満州の権益をめぐる争いが引き金となり、日本はイギリス、さらにはアメリカの外交的、経済的な支援を得て、ロシアとの全面対決に踏み切ります。満州南部と遼東半島が主な戦場となり、日本近海でも大規模な海戦が繰り広げられました。その後、日本海軍が日本海海戦でバルチック艦隊を破ったことで趨勢が決し、アメリカのセオドア・ルーズベルト大統領の斡旋で締結されたポーツマス条約によって講和の運びとなります。東洋の小さな島国が大国相手に躍進する姿にアメリカの世論も沸き立ち、現地紙もたびたび日本の勝利を謳うような記事を掲載しています。
こうした背景を受けて、G.リューデルス作曲〈日本の戦争行進曲〉やJ.ワクテル作曲〈日本の日の出〉など、日露戦争にスポットを当てたシートミュージックも次々と発表されていきます。そのなかで、国歌や天皇誕生日を祝う唱歌〈天長節〉の紹介、日露戦争で活躍した軍人や外交官を讃えた曲も出回りました。
R.C. ディルモア作曲・作詞〈伏見宮王子の歌〉では、日露戦争では連合艦隊旗艦「三笠」分隊長として黄海海戦に参加し、戦傷を負った伏見宮博恭王(のち元帥海軍大将、軍令部総長)をタイトルに据え、装画には顔写真も掲載されています。また、O. M. ホワイト作曲〈バンザイ〉は、和平交渉に尽力した駐米公使高平小五郎に捧げられており、具体的な人名や歌、さらに「バンザイ」といった掛け声までもが曲の題材となり、こうした楽曲が民衆の間で広まっていたことはとても興味深いことです。
J. T.ライダー作曲・作詞〈小さな日本〉のように、日本に“little”の語が付されている楽曲も多く認められ、ここにはロシアに比して国土面積が小国であるなど、日本に対するアメリカからのまなざしが投影されているのかもしれません。日露戦争を題材としたシートミュージックを眺めてみるだけでも、同時代に表象されている日本の多様性・多義性が感じられます。