学習室エッセイ

ルイス・フロイス『日本史』を読みなおす④

著者
呉座勇一
掲載年月日
2023-01-18

ルイス・フロイスが記した永禄の変(1)

ルイス・フロイス『日本史』が記す最初の政治的大事件は、永禄の変であろう。永禄8年(1565)、室町幕府13代将軍足利義輝が暗殺された事件のことである。フロイス『日本史』の記述と、日本側史料の記述とでは、相違がみられる。まず『日本史』第1部65章の記述を確認しよう。
「都には、内裏に次ぐ日本での最高の顕位である公方様(足利義輝)が住んでいた。あらゆる人が彼に服従していたわけではないが、それでも人々は最高の君主としてその優位を認めていた。彼には三好殿(三好義継)なる執政がいた。その殿は都から11里距たった飯盛城に居住しており、戦争によって数ヵ国をすでに征服し、当時それらを支配していた。彼はこの頃23,4歳で、既述の150名ないし200名ほどのキリシタンの侍たちは、彼の家臣であった。三好殿はまた、弾正殿(松永久秀)という名の別の執政を有した。この人は大和国の殿で、年老い、有力かつ富裕であり、人々から恐れられ、はなはだ残酷な暴君であった。彼は三好殿の家臣であったにもかかわらず、大いなる才略と狡猾さによって天下を支配し、諸事は彼が欲するままに行なわれた。彼は絶対的君主になり、かつ公方様に対する服従について気遣わなくてもよいようにしようと、暴虐な方法を用いて、権勢の道における最高位に昇ろうと決意した。彼は若者である三好殿と、公方様を殺害し、阿波国にある公方様の近親者(足利義栄)をその地位に就かせることで相談し、その者には公方の名称だけを保たせれば、それからは両名がともに天下を統治することができようと考えた。」
これに従えば、永禄の変の首謀者は松永久秀であり、目的は将軍暗殺と新将軍擁立、動機は室町幕府の実権の掌握(天下取り)にあったことになる。しかし『日本史』の同章には、前掲の文章と矛盾する内容も記されている。
すなわち将軍御所を包囲した三好勢は、将軍義輝が寵愛していた側室の小侍従局(義輝の側近である進士晴舎の娘)や、義輝の側近たちを殺せば引き上げると義輝側に通告したという。これによれば、三好勢は要求が受け入れられれば、義輝に危害を加えずに撤退するつもりだったことになる。いったい、いずれの記述が正しいのだろうか。次回、詳しく検討したい。