学習室エッセイ

ルイス・フロイス『日本史』を読みなおす⑧

著者
呉座勇一
掲載年月日
2023-08-30

ルイス・フロイスが記した織田信長(1)

ルイス・フロイスは『日本史』において、織田信長の人物像について詳しく書き記している。というより、私たちが抱く信長のイメージは、フロイス『日本史』由来のものであることが多い。信長の睡眠時間が短いとか、信長が会話においてだらだらとした前置きを嫌う、といった話はフロイス『日本史』に記されており、逆に言えば他の史料では確認できない。

フロイス『日本史』の織田信長に関する記述のうち、私たちの信長観に最も大きな影響を与えたものは、信長が無神論者だったという話だろう。すなわちフロイスは、「彼は善き理性と明晰な判断力を有し、神および仏のいっさいの礼拝、尊崇、ならびにあらゆる異教的占卜や迷信的慣習の軽蔑者であった。形だけは当初法華宗に属しているような態度を示したが、顕位に就いて後は尊大にすべての偶像を見下げ、若干の点、禅宗の見解に従い、霊魂の不滅、来世の賞罰などはないと見なした」と記している。戦後、多くの歴史研究者や歴史小説家がこの記述に注目し、信長を迷信や宗教に惑わされない徹底した合理主義者・現実主義者として描いてきた。

織田信長が迷信や神秘的な話を鵜呑みにせず、自分の目で確かめようとしたことは、信長に近侍した太田牛一が著した信長の一代記『信長公記』にも見える。しかし信長は一貫して伊勢神宮・石清水八幡宮・善光寺など、大寺社を保護している。神田千里氏が指摘するように、信長が神仏を否定していたという記述は、日本側の史料で裏付けることはできない。

織田信長は当時の日本における最大の権力者であり、イエズス会が日本で布教活動をする上で、信長の支持を獲得することは最重要任務であった。来日した宣教師は、本国のイエズス会に対し、信長がキリスト教に好意的であり、かつ日本の既存宗教に否定的であると報告し、日本での布教に大きな期待が持てるとアピールする必要があっただろう。フロイスら宣教師の信長評は、必ずしも客観中立公正なものではなく、ある種のバイアスがかかっていることに留意しなければならない。