学習室エッセイ

ルイス・フロイス『日本史』を読みなおす⑩

著者
呉座勇一
掲載年月日
2024-07-24

信長に仕えた黒人「弥助」とは何者か(1)

人気ゲームシリーズ「アサシン クリード」の最新作で11月に発売予定の「アサシン クリード シャドウズ」が、論議を呼んでいる。織田信長に仕えた黒人として著名な弥助をモデルにしたキャラクターが、新主人公として追加されたことが原因である。これまでのシリーズでは、様々な時代や国で暗躍する架空の暗殺者が主人公だったが、歴史上に実在した人物である弥助が主人公として登場し、「伝説の侍」として紹介されたことが、著しい誇張であり、歴史の歪曲につながるのではないかと批判を受けている。

では「弥助」とは何者なのか。弥助はルイス・フロイスの『日本史』には登場しないが、ルイス・フロイスの書簡など、イエズス会関係史料に弥助と思しき黒人の記述が見えるので、本連載で紹介したい。
弥助に関する最も信頼できる史料は、同時代史料・一次史料である『家忠日記』である。徳川家の家臣、松平家忠が天正5年(1577)年から文禄3年(1594)にかけて綴った日記である。それによれば、天正10年4月19日(1582年5月11日)、松平家忠は、武田征伐を終えて東海道を遊覧しつつ安土に帰還する途中の信長に付き添っている弥助を目撃している。すなわち、以下の記述である。

「上様(信長)御ふち(扶持)候大うす(デウス)進上申候くろ(黒)男御つ(連)れ候、身ハすみ(墨)ノコトク、タケ(丈)ハ六尺二分、名ハ弥介ト云、」

信長が「弥介」という名の黒人を召し使っていた。弥介は宣教師から信長に献上されたものだという。
この黒人「弥介」と関連すると思われる記述が、ルイス・フロイスが1581年4月14日(天正9年3月11日)に日本在留の宣教師に宛てた書簡の中に見える。書簡の中でフロイスは数週間前、召し使っている黒人が旅の途中で日本人の注目を集めたことに言及している。以下に引用しよう。

「堺の市を出んとした時、丈の非常に高いビジタドールのパードレ及び我等と同行した黒奴cafreの色を見るため、無数の人が街路に待受けてゐた。堺は自由の市であるが、多数の民衆と武士が集ったので、我等の一行が狭い街を通過する際数軒の店を荒したにかかはらず、苦情を言ふ者はなかった。堺を出て駄馬三十五頭、荷持人足三、四十人及び我等の乗馬が約同数あり、黒奴もまた乗馬するやう頻りに勧められた。この道を進むに従って人が出迎へ、また多数の武士が同行して必要な馬匹を供給し、馬上で出迎へた武士も多数であった。」
(村上直次郎訳『イエズス会日本年報 上』雄松堂書店、なお松田毅一監訳『十六・七世紀イエズス会日本報告集 第3期 第5巻』はcafreを「黒人」と訳している)

さらにフロイスは、同じ書簡で、世間での評判を聞いた信長が黒人を招いて実見した際の様子について記述している。再び以下に引用する。

「復活祭日に続く週の月曜日〔三月二十七日、すなはち天正九年二月二十三日〕
信長は都にゐたが、多数の人々がわがカザの前に集って黒奴を見んとしたため騒が甚しく、投石のため負傷者を出し、また死せんとする者もあった。多数の人が門を衛ってゐたにかかはらず、これを破ることを防ぐことが困難であった。もし金儲のために黒奴を観せ物としたらば、短期間に八千乃至一万クルサドを得ることは容易であらうと皆言った。信長もこれを観んことを望んで招いた故、パードレ・オルガンチノが同人を連れて行った。大変な騒で、その色が自然であって人工でないことを信ぜず、帯から上の着物を脱がせた。信長はまた子息達を招いたが、皆非常に喜んだ。今大坂の司令官である信長の甥もこれを観て非常に喜び、銭一万〔十貫文〕を与へた。」
(村上直次郎訳『イエズス会日本年報 上』雄松堂書店)

そしてルイス・フロイスの同僚であるイエズス会宣教師ロレンソ・メシヤは、1581年10月8日(天正9年9月11日)付の府内(現在の大分県)からの書簡において、3月にフロイスらと共に信長と会った時の出来事を書き記している。

「パードレは黒奴一人を同伴してゐたが、都においてはかつて見たることなき故、諸人皆驚き、これを観んとしてきた人は無数であった。信長自身もこれを観て驚き、生来の黒人で、墨を塗ったものでないことを容易に信ぜず、屢々これを観、少しく日本語を解したので、彼と話して飽くことなく、また彼が力強く、少しの芸ができたので、信長は大いに喜んでこれを庇護し、人を附けて市内を巡らせた。彼を殿Tonoとするであらうと言ふ者もある。」
(村上直次郎訳『イエズス会日本年報 上』雄松堂書店)

これらの記述によれば、信長は黒人の黒い肌に興味を示し、彼の腕力や芸を気に入り、扶持することにしたという。おそらく宣教師たちが信長に献上したのであろう。イエズス会日本年報には「弥介」という名前は記されていないが、状況から考えて、この時にフロイスたちが信長に献上した黒人が「弥介」である蓋然性は高い。(次回に続く)