ライブラリー地図
新訂版日本・蝦夷・周辺諸島図
解説
この地図は、作成者の名にちなんで、通称「ダッドレー・ヤンソン型」と呼ばれる日本図で、北海道を含む日本北方海域の情報をヨーロッパにもたらしたことで有名なものです。ヤンソニウス(1588-1664)は、オルテリウスの地図帳の版権を継承したヨドクス・ホンディウス(1563-1612)の義理の息子で、ヨドクスの息子らと協力して地図帳出版に精力的に取り組みました。この図の初出原型は、ヤンソニウスによる小型の地図帳最終改訂版(1648年)に掲載された「日本と蝦夷図」で、1651年に刊行されたドイツ語版でも同じ図が掲載されました。これらは小型の地図帳に収録されていたものですが、これを倍以上の大きさの大判地図帳に掲載するために新たに彫版して、「新しく正確な日本、蝦夷、ならびに周辺諸島図」と題して、1658年に発表されます。本図は、この1658年の図版を後年買い受けたシェンクとファンクによって1694年頃に出された地図帳に収録されていたもので、地図右下の説明文からヤンソニウスの名に変わって彼らの名が示されていること以外は、基本的に1658年の原図と同じものです。
北海道周辺の地理情報は、長らくヨーロッパ人にとって(日本自身にとっても)未知のものでしたが、オランダ人の航海士フリース(1598-1647)による、伝説の金銀島探索航海(1643年)によって、北海道東岸地域の情報が新たにもたらされます。ヤンソンはこの情報を自身の地図帳に早速取り込み、先述の1648年の小型地図帳の日本図に反映させました。北海道西部や北部の輪郭は不明なままですが、東岸の輪郭線はそれまでの地図にない正確さで細かく描かれると共に、測量した水深までも書き込まれています。また、彼が「発見」した択捉島は「オランダの島(Staten Eylant)」、得撫島は、「オランダ東インド会社の土地(Compagnies Land)」と名付けられて描かれています。得撫島はフリースによる探索では西海岸のごく一部しか確認できなかったため、ここでは大陸のように描かれています。
本州、四国、九州部分については先行するダッドレーの日本図を継承していますが、九州を誤って四国(CIKOKO)と記載したり、江戸(IEDE)が実際に位置よりもはるか内陸に描かれるなどの誤りが見られます。しかしながら、部分的とはいえ、北海道周辺も含めた日本図としては、当時を代表する最も有力な地図として本図は普及しました。
(執筆:羽田孝之)