ライブラリー地図
日本王国図
解説
本図は、フランスのイエズス会士で古典文学と修辞学の教師として教鞭をとる一方で、歴史書や地理学書の著者としても活躍したことで知られているブリエ(Philippe Briet, 1601 – 1668)の手がけた日本地図です。42.5 cm x 57.5 cmというそれなりに大きな地図で、書き込まれている地名もかなりの数に上っています。「山城(YAMAXIRO)」「丹後(Tango)」といった風に国名がローマ字で表記されており、さらに「京(MEACO)」「江戸(YENDO)」の主要都市の名前も城郭を表す記号とともに記されています。
この地図は、「ブランクス / モレイラ型」と呼ばれる系譜に位置するものと考えられていて、16世紀末から17世紀はじめにかけてイエズス会関係者が作成した日本図が基盤となっています。この型の日本図は、17世紀前半からヨーロッパで広く流布し、実測に基づく当時最新で最も正確な日本図として高い評価を受けていました。主としてイエズス会関係の著作に変更を加えながら転載され続けており、カルディム(António Francisco Cardim, 1596? – 1659)の『日本殉教精華』(Franciculus e Iapponicis floribus suo adhuc madentibus sanguine. 1646)や、テーヌ(Phillipe François Taisne, 1627 – 1691)の『栄光のイエズス会士、聖フランシスコ・ザビエルの生涯と奇跡』(Het leven deughden mirakele, en glorie vande H. Franc. Xaverivs…1663)などの著作に収録されている日本図がそうした一例に数えられます。
本図は、大きく描かれた琵琶湖がまるで大阪湾の内湾の一部であるかのような表現になっているなど、現代の視点から見れば不正確になってしまっている箇所も少なくありませんが、当時の水準としては相対的に見て当時としては非常に正確な日本図であったと言えます。1658年頃に初めて製作されてから好評を博し、20年ほどの間に幾度も増刷が行われているため、本図の正確な印刷時期を特定することは困難ですが、その下限は1676年と考えられています。幾度も再版されたブリエの日本図は、いずれも当時のフランスにおける王室付き地理学者であったサンソン(Nicholas d’Abbeville Sanson, 1600 – 1667)の手がけた地図帳(Cartes generales de toutes les parties du monde.)に収録されたようで、本図もそうした地図帳から切り取られた1枚であると思われます。
なお、この図では美しい手彩色によって九州や四国の輪郭が表現されていますが、こうした塗り分けはそれほど厳密なものではなく、現存するこの地図同士でも塗り分けされる箇所に違いが見られることも珍しくありません。この図に限ったものではありませんが、当時のヨーロッパ製地図に施される手彩色は職人による裁量が大きかったようで、現在の感覚から期待されるような厳密な国境を表現するというよりも、装飾的な意味合いが強かったのではないかと思われます。
(執筆:羽田孝之)