アジア図

制作年 1730頃
制作者 ドゥリル
出版地 アムステルダム
言語 フランス語
オランダ
分類 アジア図

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解説

本図の製作者ドゥリル(Guillaume Delisle, 1675-1726)は、18世紀のフランスを代表する地理学者、地図制作者の一人です。フランスにおける王室付き地理学者であったサンソン(Nicholas d’ Abbeville Sanson, 1600-1667)とともに働いていた父クロード(Claude Delisle, 1664-1720)の下で幼い頃から非凡な才を発揮し、若くして科学アカデミーの会員となりました。また、王室付き地理学者に任命されるとともに、ルイ14世の子息の地理学教師も務めており、ドゥリルは王室やアカデミーとの強い繋がりを活かして、当時最新の航海や探検、測量情報を入手し得る立場にありました。ドゥリルは、こうした最新情報を踏まえた上で自身の解釈を盛り込んで独自の地図を多数製作しており、彼が手がけた地図はいずれもその正確性が高く評価されました。

50.9 cm x 61.5 cm という比較的大きなこの地図は、日本を含むアジア全域を対象として描かれたもので、ドゥリル没後の1730年頃にアムステルダムの出版社(I. Covens et C. Mortier)によって出版されたものと推定されています。ドゥリルによるこのアジア図は、彼に大きな影響を与えたサンソンが1674年に発表したアジア図(L’Asie divisée en ses principals regions…)を基本的に踏襲しています。サンソンによるこのアジア図は何度も再版されただけでなく、他の地図製作者によっても類似のアジア図が製作されるなど、17世紀後半から18世紀前半にかけて強い影響力を有していました。従って、ドゥリルは当時最も権威のあったアジア図の一つである同図に範を採ったものと思われます。

このアジア図では、小さいながらも日本がかなり詳しく描かれており、多くの都市名が細かく書き込まれているなど、日本図としても完成度の高いものとなっています。その一方で、北海道周辺の北方海域については、現代の視点から見るとかなり異様な描かれ方となっていることに目がつきます。オランダ人航海士フリース(Maerten Gerritsz de Vries, 1589-1647)による1643年の蝦夷北東部の測量情報に基づいて描かれた北海道北東部は比較的正確ですが、未測量であった北西部はユーラシア大陸に接続され、(実在しない)「YUPI」半島の一部として北海道が描かれています。また、その東方には「蝦夷大陸(TERRE DE IESSO)」と記された巨大な大陸が描かれていて、北海道とは別に「蝦夷大陸」が存在するかのように、しかもそれがアメリカ大陸に接続しているかのようになってしまっています。

この誤りはドゥリル(と彼が手本としたサンソン)のみに帰せられる誤りではなく、当時のヨーロッパにおいてこの周辺海域の地理情報が非常に不確かで、矛盾する諸説が乱立していたことによるものです。ドゥリルは、この地域の地理情報と諸学説をなんとか整理しようと試みたようで、彼が手がけたアジア図におけるこの地域の描かれ方は、その作成年代によってかなり異なるものとなっています。

        (執筆:羽田孝之)