ライブラリー地図
アジア図
解説
この地図は、「メルカトル図法」の考案者として現代にその名を残す、メルカトル(1512−1594)の地図帳『アトラス(Atlas)』第1巻(1585年)に最初に掲載されたアジア図を1595年に再版したものです。メルカトルは、『アトラス』刊行に15年以上先立つ1569年に、メルカトル図法を最初に適用した大型の世界地図を刊行しています。このアジア地図は、1569年世界地図のアジア部分を基本にして、個別の地図として後年作成されたものと言えます。
地図では、東ヨーロッパから中央アジア、インド、中国、そして日本を広範囲にわたって描いており、大陸部分についてはかなり詳細に地名や河川、山脈が書き込まれています。一方、地図右端(東端)付近の海上船の下に描かれた日本は、現在の目から見てかなり奇異な印象を与える形をしています。Iapanと書き込まれた本州と思しき島は、南北に伸びた楕円状の形をしており、当時ヨーロッパ人にとって未知であった北海道はもとより、四国、九州さえもその姿を見つけることができません。書き込まれた文字を見ていきますと、本州部分にマルコ・ポーロ由来のジパング(Zipangri)が確認できるほか、上方中ほどにMiacoと書かれており、都、すなわち京都を示していることがわかります。そのさらに上方(北方)には、Amanguco(山口)が見えることから、南北が入れ替わってしまっているのかと思いきや、下端(南端)には、Cangoxima(鹿児島)との表記があることから、単純にそういうわけでもないようです。いずれの地名も、イエズス会士ザビエルの日本宣教において重要な役割を果たした地でもあります。また、本州北西に連なる群島は宮古諸島(Insule de Miaco)、南方に連なる群島は琉球諸島(Lequio)と思われます。
この地図に見られる地名の表記や楕円状の日本の形は、イタリアの地理学者ガスタルディ(1500−1560)による世界地図の改訂版(1562年頃)に描かれた日本図に見られることから、メルカトルはこの地図を底本にしたと思われます。この楕円状の日本図は、その後もオルテリウス(1527−1598)の地図帳でも、やや形を変えながら受け継がれ、16世紀後半から17世紀初めまで広く流布しました。
なお、日本の東方すぐ隣には、アメリカ大陸(AMERICAE PARS)が迫っており、実在しない幻のアニアン海峡(El streto de Anian)を挟んでアジアとアメリカ大陸とが隣接しています。これは、当時、アメリカ大陸と日本、そしてユーラシア大陸とはかなり近接していると考える説が根強く残っており、太平洋を大幅に狭く見積もった地図が多数存在したことや、ヨーロッパから北米大陸の最北端を西回りに抜けてアジアに到達しようとする、いわゆる北西航路探索の試みが行われていたことが背景にあります。
(執筆:羽田孝之)