ライブラリー地図
東インド、ならびに隣接諸島地図
解説
ブラウ家は、17世紀を代表する地図製作者の一家で、父のウィレム(1572-1638)、息子のヨアン(1598-1673)、その息子ヨアン二世(1650-1712)の三代にわたって、オランダのみならずヨーロッパにおける地図製作に最大級の影響力を持ちました。オランダ東インド会社の公認地図製作者に1633年から指名され、ヤンソニウス(1588-1664)と熾烈な地図帳出版競争を繰り広げています。ヨアン・ブラウが1662年に作成した「大アトラス(Atlas Maior)」は、それまでに出版されたあらゆる地図帳を凌ぐことを目的に企画されたもので、大型フォリオ版で全11巻、4608ページのテキスト、584点の地図からなる、文字通り「大」アトラスと言えるものです。最初に刊行されたラテン語版を筆頭に、フランス語版、オランダ語版、ドイツ語版の各版が出されていますが、本図は、この大アトラスのラテン語版第11巻に収録されていたものです。作成者は父ウィレムとなっていますが、実際に刊行したのはその息子ヨアンです。
主に島嶼部を中心とした東南アジア地域全般を示すもので、オランダ東インド会社公認地図制作者らしく、海図として用いる際に重要となる羅針図が複雑に描きこまれています。この地域はオランダ東インド会社にとって最重要地域であったことを反映してか、政庁が置かれていたバタフィア(現在のジャカルタ)を始め、主要な重要地が赤く彩色されています。また、地図下部には、1642年から1644年の二度にわたり、オランダ東インド会社の依頼を受けたタスマン(1603-1659)による航海で得られた正確なニューギニアの輪郭や、オーストラリア北端の一部が描かれています。
日本については、九州と四国、本州の一部しか描かれていませんが、その形状は、競合相手であったヤンソンが採用している通称「ダッドレー・ヤンソン型」と呼ばれるものです。地名の表記は決して多くありませんが、長崎(Nagasaki)はしっかりと書き込まれています。ただし、九州全体は誤って、四国(CIKOKO)とされてしまっていますが、これは範にとった図にもおなじ誤りが見られ、それをそのまま引き継いだものと思われます。本州には淀川と思しき河川の上流に、京都(都、Meaco)が描かれており、江戸(Jedo)も確認できます。それ以外にもオランダ商館長の江戸参府の記録から、比較的よく知られていた瀬戸内東海道地域の地名を見ることができます。
(執筆:羽田孝之)