ライブラリー地図
日本帝国図
解説
本地図〈日本帝国図〉は、イタリア人地理学者で、肖像画家でもあった、フランチェスコ・コスタンティノ・マルモッキ(Francesco Costantino Marmocchi, 1805-1858?)によって製作された地図です。マルモッキはイタリア中部沿岸のマレッマで幼少期を過ごした後、イタリア中部の町を転々としており、ポッジボンシ滞在時には叔父から、自然科学の手ほどきを受けています。シエナに移り住んでからは、エスコラピオス修道会付属学校の実験物理学教授であったマッシミリアーノ・リッカのもとに足繁く通い、自然科学や地理学の研究に打ち込むようになりました。1830年代以降のマルモッキは、愛国心と自由主義への憧れから、政治活動に没頭するようになりますが、その一方で地図帳や、地理学の教科書、地理学事典など数多くの著作を残しており、死ぬ寸前までイタリアの地理学の発展に貢献しました。
本地図は、上記のようなマルモッキの著作の一つで、1845年にフィレンツェで出版された『歴史地図帳』(Atlante di giografia storica universale)第二部の23番目の地図として掲載されました。後に切り抜かれたか、あるいは製本されずに一枚ものとしてそのまま販売されたと考えられます。本地図は、1821年にミラノの出版業者ロッシが出版した地図帳に掲載されている〈日本図〉と酷似しており、ロッシが参考にしたフランスの地図製作者ビュアージュ(Jean-Nicolas Buache, 1741-1825)の影響(パリ子午線、フェロ子午線の明記等)をそのまま受け継いでいます。
(執筆:小川仁)