アジア図

制作年 1730
制作者 ケーラー
出版地 ニュルンベルク
言語 ラテン語
ドイツ
分類 アジア図

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解説

本図を手がけたケーラー(Johann David Köhler, 1684 – 1755)は、18世紀に活躍したドイツの歴史学者でローマの古銭研究や図書館情報学の先駆けとなった著作を残したことでも知られています。この地図はケーラーの最後の著作となった世界地理学書(Kurze und gründliche Anleitung zu der alten und mittleren Geographie. Nürnberg, 1730.)に収録されていたアジア図で、同書がそれほど大きな書物でなかったこともあって、15.5 cm x 19.7 cm というコンパクトな地図となっています。地図の右上には「アジア」と記された古銭を模したような装飾が描かれていて、古銭研究者でもあったケーラーのこだわりが感じられます。

この地図ではアフリカやヨーロッパの一部を含むアジア全域が描かれていますが、図面が小さいこともあって、細部を簡略化した表現が採用されています。本図が収録されていた世界地理学書が、古代と中世の世界像の解説を主眼にしているため、同時代のアジアを表現したものではないことから、ユーラシア大陸北部が「未知の大陸」などと記されています。とは言え、海岸線の輪郭等の基本的な地図表現は、当時の地理学書や地図帳を参照しながら描かれているようで、アジア地図としては当時の標準的な姿となっています。

本図の日本周辺の表現として特徴的なのは、本州を上回る大きさで北方に大きく盛り上がる形で描かれた北海道でしょう。ここに見られるような北西部が大きく盛り上がった「蝦夷大陸」が描かれるようになったのは、1700年にミュンヘンで刊行されたシェーラー(Heinrich Scherer, 1628 – 1704)のアジア図(Asiae Status Naturalis…)においてのことで、それ以降ドイツ語圏で製作された地図の多くに、同様に描かれた「蝦夷大陸」の姿を見ることができます。ヨーロッパ人による蝦夷近辺の探索航海は、オランダ人航海士フリース(Maerten Gerritsz de Vries, 1589 – 1647)による1643年の調査が最初であると考えられていて、フリースの航海によってそれまで未知とされていた蝦夷北東部の測量情報がはじめてもたらされ、現在の択捉島と得撫島の(一部の)確認などが行われました。この情報に基づいて蝦夷近辺を描いた地図が17世紀後半から出現するようになり、本図に見られるような特徴的な北海道の姿も、こうした時代背景のもとに描かれたのではないかと考えられます。

      (執筆:羽田孝之)