ライブラリー楽譜
ある晴れた日に(オペラ『蝶々夫人』より)
解説
◆オペラ『蝶々夫人』誕生
『蝶々夫人』は、イタリア出身の作曲家ジャコモ・プッチーニによって作曲された2幕から成るオペラです。明治期の長崎を舞台に、没落藩士令嬢の蝶々さんとアメリカ海軍士官ピンカートンとの悲恋を描く本作は、抒情的なテーマを盛り上げる美しいメロディや複雑な和声効果が多用されるなど、プッチーニの代表作として愛され続けている名作です。
作曲家のプッチーニは、35歳の時書き上げた3作目のオペラ『マノン・レスコー』で一躍脚光を浴び、その後『ラ・ボエーム』(1896年)、『トスカ』(1900年)と次々と傑作を生み出しました。『蝶々夫人』が誕生したのは、正にプッチーニ絶頂期の最中でのことです。
オペラ『蝶々夫人』は、アメリカの弁護士ジョン・ルーサー・ロングが1898年に発表した短編小説Madame Butterfly(蝶々夫人)を原作としています。この小説はその後、アメリカの劇作家デーヴィッド・ベラスコによって戯曲化され、その戯曲を観て大いに感動したプッチーニが次なるオペラ作品の題材として「蝶々夫人」を選んだとされています。
作曲の過程で、プッチーニは日本の音楽に関する楽譜やレコード収集したほか、当時、日本大使を務めていた大山綱介の妻・久子から民謡など日本の音楽の素材を集めたといいます。さらには、日本の風俗習慣や宗教的儀式に関しても多くの日本関係欧文図書をもとに知識を深めていきました。こうした制作の背景が、それ以前の日本表象西洋楽曲と一線を画し、日本の音楽的・文化的要素を多分に包含する異色作の完成へと繋がっていったと思われます。
現在ではイタリアオペラの主要なレパートリーとなっている『蝶々夫人』ですが、1904年2月17日にミラノのスカラ座で初演された時には、かなりの酷評を受けました。これは、初演版では、第2幕に1時間半を要すなど上演時間が長すぎたことや、文化の異なる日本を題材にした作品であったため観客が違和感を覚えたこと、さらにアリアの一部が彼の初期オペラ「ラ・ボエーム」第3幕のデュエットメロディーに似ていたといった複数の原因があるとされています。その後、改訂された作品が同年5月28日にイタリアのブレシアで公演され、大成功を収めると、続くロンドン、パリ公演とプッチーニは何度も改訂を重ね、1906年のパリ公演のために用意された第6版が、21世紀の今日まで上演され続けている決定版となっています。
◆〈ある晴れた日に〉
今回ご紹介する楽譜に掲載されている〈ある晴れた日に〉は、オペラ『蝶々夫人』の第2幕1場、物語のクライマックスでソプラノが歌うアリアです。本楽譜では、ピアノ伴奏用に編曲されており、この楽曲が単なるオペラの劇中歌としてだけではなく、一つの作品として広く民衆間でも演奏されていた様子がうかがえます。〈ある晴れた日に〉は、夫ピンカートンに見捨てられたとも知らず、長崎の港が見える丘の上の家でひたすら彼の帰りを待つ主人公・蝶々さんが、メイドのスズキに向かって、彼の帰りを信じる様子を切々と歌うドラマチックで悲しいアリアです。旋律の美しさもさる事ながら、気丈に夫の帰りを待つ蝶々さんの純粋さや、悲しさ、そして愛にあふれた 感動を呼ぶ吊曲として世界中で親しまれています。
(解説:光平有希)