ライブラリー楽譜
影
解説
ミリガン作曲 《影:ラフカディオ・ハーンによる日本の5つの詩歌》は、音楽家、ミュージカル作家としてアメリカで活躍したハロルド・ヴィンセント・ミリガンHarold Vincent Milligan(1888-1951)-が、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン:1850-1904)の作品に着想を得て制作した作品である。ギリシアで生まれイギリス国籍を持つハーンは、アイルランド、イギリス、フランスで教育を受け、19歳のとき単身アメリカに移住した。シンシナティでジャーナリストとして活動したのち、ニューオーリンズやカリブ海のマルティニーク島へ移り住み、精力的に執筆活動を続けた。ニューオーリンズ時代、万博で出会った日本文化や英訳された『古事記』に触発され、1890年春に日本に渡った。同年8月、松江の島根県尋常中学校に英語教師として赴任し、その後熊本第五高等中学校、神戸クロニクル社の勤務を経て、1896年より帝国大学文科大学講師として英文学を講じた。のちに早稲田大学でも教鞭を執った。翻訳、紀行文、再話文学のジャンルを中心に生涯で数多くの著作を遺した。
《影:ラフカディオ・ハーンによる日本の5つの詩歌》は、ハーンが著わした『霊の日本』に含まれる一篇「小さな詩」の中から5つの和歌が選ばれ、旋律が加えられた。1899(明治32)年リトル・ブラウン社刊行の『霊の日本』は、初版本の装幀には梅の図柄が描かれており、ハーン自身は「梅の本」と呼んでいた。同書所収の14篇は、岡倉天心の作品や『十訓抄』からの抜粋、各地の伝説などであり、提供された素材を発展させたいわゆる再話文学の作品が主である。《影:ラフカディオ・ハーンによる日本の5つの詩歌》に用いた「小さな詩」は、英文学者にして俳人、後に『小泉八雲全集』を手がけた大谷正信(大谷繞石)の提供した素材をもとに執筆された。楽曲集に用いられたのは「春の記憶」「長き不在ののち」「海上の月」「幸福な貧乏」「貧乏ぐらし」という5つの詩歌である。その多くは詠み人知らずとされるが、「貧乏ぐらし」と題された最後の俳句は、高浜虚子が1896(明治29)年に発表した「五百句」所収の作――「盜んだる案山子の笠に雨急なり」――であった。ハーンは、いずれの詩歌にも装飾語が多い凝った美文調の英語の文体を用いた。日本語の言外に込められている精神性をも表現するかのようなハーンの英語の文体にあわせ、ミリガンはそれぞれの詩歌の世界観を音楽的な濃淡を用いて曲に描き出している。
(解説:光平有希)