ライブラリー図書
廻国奇観
解説
本書の著者ケンペル(Engelbert Kaempfer, 1651 – 1716)は、ドイツのレムゴー出身で、18世紀の西洋における日本研究書の金字塔である『日本誌』(The history of Japan)の著者として非常に有名です。『日本誌』がケンペル没後に、その遺稿が第三者によって編纂、英訳された作品であるのに対して、本書はケンペルが生前自ら刊行した唯一のまとまった著作で、全57本にも上る論文が、900ページを越えるボリュームで収録されています。
ケンペルはドイツ各地の大学で研究遍歴を続けながら、言語学、哲学、歴史学、地理学などの研鑽を積み、30歳になる1681年にスウェーデンへと渡り、1683年からは同国がモスクワ大公国とペルシャに派遣した外交使節団に随行しました。イスファンに2年近く滞在したケンペルは、道中やイスファンで見聞したことを記録し続け、この時の研究成果の多くが本書に盛り込まれています。イスファンからさらに旅を続けることを希望していたケンペルは、オランダ東インド会社の船医となって1689年にバタヴィアへと渡り、翌1690年には日本の出島商館付き医師として日本の地を踏みました。同年9月から1692年10月末までの2年余りを日本で過ごす中で2度の江戸参府も経験し、離日後はバタヴィアを経由して1693年にアムステルダムへと戻りました。ケンペルはヨーロッパに戻ってからすぐに著作の執筆と刊行に専念するつもりだったようですが、様々な事情により困難を極め、本書が刊行されたのはようやく1712年になってからのことです。ケンペルは1716年に世を去ってしまったことから、本書が生前唯一のまとまった刊行著作となりました。
本書は全5部構成となっていて、10年近くに及ぶ旅の各地で見聞、考察したことをまとめた論文が収められています。ケンペルは序文において、本書はより大きな作品のための試作論集に過ぎないことや、本書とは別に日本についての大部の研究書を刊行予定であることを断っていますが(b3)、それでも本書に多数収録された日本研究論文は非常に充実した内容となっています。第2部13章(466ページ〜)は日本の製紙についての研究で、和紙の原料となる「楮」をはじめとした漢字表記も交えた図版も掲載されています。本書第5部(765ページ〜)も全て日本の植物研究となっていて、ここでも多くの植物図版が収録されており、ケンペルがバタヴィア滞在時に親しく交流していたクライアー(Andreas Cleyer, 1634 – 1697)やマイスターといった、オランダ商館関係者の日本植物研究先学の影響が見られます。同14章(478ページ〜)は「鎖国論」として後年日本でも知られることになる日本の対外政策の是非を考察した論文で、ここでは「日本(Nipòn)」「京(Kjo, seu Meáco)」、「江戸(Jedo)」等のユニークな漢字表記も見られます(481,482ページ)。第3部13章(589ページ〜)は「艾」(Moxa)を中心とした日本と中国の鍼灸治療に関する論文、同14章は日本の「茶」(Tsja)を論じた論文で、灸所鑑や茶の実、茶道具の図版などが収録されています。
(執筆:羽田孝之)
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