東洋園芸造園家

出版年 1692
著者 マイスター
出版地 ドレスデン
言語 ドイツ語
ドイツ
分類 日本文化

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解説

 著者のマイスター(George Meister, 1653-1713)は、1677年からオランダ東インド会社の一員として働き、1682(天和2)年から1683(同3)年、ならびに1685(貞享2)年から1686(同3)年にかけての二度にわたって、オランダ商館員として来日しました。
本書は、彼が帰国後の1692年に、自身の紀行と日本や東インド地域やアフリカで収集、調査した植物についてまとめて発表したものです。「東洋園芸造園家」というタイトルからもわかるように、ヨーロッパに初めて日本の植物を本格的に紹介しただけでなく、日本の庭園文化についても紹介したもので、植物学、薬草学、庭園文化の東西交流に大きな役割を果たしました。ケンペルの『廻国奇観』『日本誌』に先行して、日本の植物をいち早くヨーロッパに伝えた非常に重要な書物です。
特徴的な口絵は、日本と中国あるいは朝鮮半島の人物と思われる二人がタイトル文字を描いた布を持っており、背景では当方の植物や人々、日の出の様子が描かれています。テキストは全22章からなっており、アムステルダムを発ってから、喜望峰、バタフィア、日本といった彼が辿った各地で見聞した人々、そして収集した植物についての記述が中心に描かれています。日本については主に11章から扱われていて、約90種もの日本の植物が40ページ以上に渡って紹介されており、その生態や栽培方法が紹介されています。マイスターの記述は読者を楽しませることも意識されたもので、193ページからは、ジンエモン(Ginnemon)とスサブロウ(Susaburo)という二人の日本人による野草採集が対話形式で描かれています。ドイツ語のテキストと並んで日本語をローマ字表記にして併記しており、マイスターが日本語をある程度習得していたことが伺えます。また、彼は日本の文字漢字を図版でも収録しており、簡単な日本語語彙集(185ページから192ページ)も本書に収めています。
彼はまた、日本の庭園文化についても詳細に報告しており、当時ヨーロッパ、特にフランスのヴェルサイユ宮殿(1682年造)に見られるような、幾何学を基調とした人工的庭園に対して、日本の庭園に見られる自然の美をそのままに取り入れた庭園文化の美を称賛しています。
マイスターの上司であり、来日時に商館長を務めたクライアー(Andreas Cleyer, 1634-1697?)は、彼自身も優れた植物学者で、バタフィアでマイスターの適性を素早く見抜き、彼と協力して日本や東方諸国の植物の採集、調査に熱心取り組み、マイスターの帰国後もバタフィアにとどまり研究を続けました。マイスターは帰国後もクライアーの指示を受けて、彼から送られてくる当地の植物をメンツェル(Christian Mentzel, 1622-1701)や、ブライン(Jacob Breyn, 1637-1697)といったヨーロッパを代表する植物学者や、ウィレム3世の宮廷庭師であったメディクス(Hortus Medicus)らに贈ることで、植物学研究の東西交流の基礎を築きました。また、クライアーは来日時に、日本の絵師に590枚に上る植物を描かせ、それらをマイスターを通じてフリードリヒ3世に献呈しており、これは現在もベルリン国立図書館に保管されています。

(執筆:羽田孝之)

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