ライブラリー図書
日本植物誌
解説
トゥンベリ(ツンベルクとも、Carl Peter Thunberg, 1743-1828)は、スウェーデンの植物学者、博物学者、医者で、植物分類学の大家リンネ(Carl von Linné, 1707-1778)の高弟でもありました。アフリカ希望峰と日本の植物採取、調査を目的に、オランダ東インド会社船医として、1770年から日本を含む世界各地を回り、帰国後に本書を刊行しました。
トゥンベリが日本に滞在したのは約1年半という短期間でしたが、江戸参府の道中の採取や植木店での購入、蘭学者たちとの交流を通じての提供、家畜飼料に含まれる植物の採取といったあらゆる手段を駆使して、驚異的な数の植物を採取し、本書を著しました。本書は、植物の分類と命名法を確立したリンネの手法に従って、日本の植物800種以上を命名、整理、分類、記述しており、そのうちの約半分はそれまでヨーロッパに知られていなかった新種として発表されています。トゥンベリのもう一つの大著である『1770年から1779年にわたる、ヨーロッパ、アフリカ、アジア紀行』が、スウェーデン語をはじめとした俗語で書かれているのに対して、本書は植物学の共通語であったラテン語で書かれています。トゥンベリが命名した日本の植物のラテン語名には、日本語からそのまま取られたものも多くみられ、柿(KAKI, 157ページ)や、ナンテン(NANDINA, 147ページ)、サザンカ(SASANQUA, 73ページ)などがその一例です。また、本書にはテキストだけでなく、トゥンベリが日本滞在中から作成してきた膨大なスケッチを元にした銅版画がきわめて豊富に収録されています。
ヨーロッパにおける日本の植物研究は、マイスターが上司のクライアーとともに先鞭をつけ、ケンペルに引き継がれましたが、これらを踏まえた上で、リンネの薫陶を直接に受けたトゥンベリが著した本書によって、その水準は飛躍的に高められました。その一方で、トゥンベリは日本の蘭学者達に当時最新の研究成果であったリンネの分類法をいち早く伝えており、のちに来日したシーボルトは、日本の学者達がリンネの分類法に沿って日本の植物を説明してくることに驚かされることになりました。
なお、本書刊行前の帰国直後から、トゥンベリは自身の植物学研究の成果をスウェーデン王立アカデミー論集に、随時発表しており、それらを集大成することで本書を完成させています。トゥンベリの持ち帰った800点以上の植物標本は現在もスウェーデンのウプサラ大学に残されており、また本書に用いられたスケッチもロシア科学アカデミーに保存されています。
(執筆:羽田孝之)
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