ライブラリー図書
オランダ東インド会社の起源と発展
解説
本書は大著2冊から成り、オランダ人がアジアへ渡航するようになった1594年から1642年までのアジアに向けての渡航に関する旅行記を時系列に編纂したものです。タイトルに「オランダ東インド会社」と掲げられていますが、会社設立以前の旅行記が第1冊の大部分を占めています。それは、1602年のオランダ東インド会社設立以前のオランダ船の諸航海は会社設立に至る前段階として捉えられているからです、第1冊の後半部分および第2冊は、オランダ東インド会社関係文書が収められています。
同書には、日本関係記述が各所にみられます。最も早い段階の記述は第1冊に掲載されているファン・ノールトの『世界一周紀行』にあり、ファン・ノールトが1600年12月3日および1601年1月3日にそれぞれマニラ近海及びボルネオ沖で日本のジャンク船に出会ったことについて詳細に書かれています。また、第2冊に掲載されているフェルフーフ提督の旅行記にも海上における日本船との出会いが記録されています。同旅行記の付録として、1609年におけるフェルフーフの艦隊の一隻、レーウ・メット・パイレン号の日本への航海日誌及び1611年における平戸オランダ商館長ジャック・スペックスの駿府と江戸への参府日記が挿入されています。
日本に関する主要な情報は第2冊の後半部分に集中しています。その中で突出して重要な史料はオランダ東インド会社商務員のヘンドリック・ハーゲナールの「東インド紀行」です。ハーゲナールは1634年及び1635年、1637年の3回にわたって日本に渡航しており、日本滞在中に見聞したことを「東インド紀行」という日記に記録しています。また、「東インド紀行」の付録として複数の日本関連資料が追加されています。なかでもハーゲナールの註釈が付されている1636年付オランダ東インド会社総督宛のフランソワ・カロンによる日本報告(「日本大王国志」)は日本関係欧文史料として極めて貴重な史料です。ほかにも長崎でキリシタン弾圧を実際に見聞したオランダ東インド会社職員のライヤー・ガイスベルトゾーンによる報告書「日本でローマ・カトリック教を理由に、恐ろしくて堪え難い拷問を受けた、あるいは処刑された殉教者の歴史」、同じくオランダ東インド会社職員のクーンラート・クラーメルによる後水尾天皇の二条城行幸の見物報告や1642年10月28日付の長崎の町長、海老屋四郎右衛門より東インド会社総督アントニオ・ファン・ディーメンに宛てた書簡のオランダ語訳、1621年の平戸オランダ商館長レオナルド・カンプスが東インド会社に提出した日本貿易に関する報告書なども収録されています。
(執筆:フレデリック・クレインス)
コメリンに関してはこちらのリンクでも解説しています。
日本に初来航したオランダ東インド会社の船の舵手の航海日誌 – 日本関係欧文史料の世界 (nichibun.ac.jp)
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