アルセスト号朝鮮・琉球航海記(オランダ語訳版)

表紙
出版年 1818
著者 マクロード
出版地 ロッテルダム
言語 オランダ語
オランダ
分類 旅行記

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解説

本書は、ヨーロッパにとってそれまであまり知られていなかった、琉球について多大な好感を持って伝えた書物です。1792年にイギリスは清との交易状況を改善させるために全権大使としてマカートニー(George Macartney, 1737-1806)を派遣し、それに続く1816年、アマースト(William Pitt Amherst, 1733-1857)を全権大使として派遣します。アマースト率いる使節は艦船ライラ号とアルセスト号に乗って中国へ渡航しました。この使節は、清を訪れる前に琉球に寄港しており、約40日間同地に滞在しました。本書の著者であるマクロード(John McLeod, 1777?-1820)は、外科医としてアルセスト号に乗り込んでおり、この時の航海の記録を帰国後の1817年に発表しました。本書は、その翌年に刊行されたオランダ語版にあたるものです。
本書は全7章からなっており、アルセスト号の出航から帰国までを描いています。第1章では、ブラジルと喜望峰を経由してジャワに到着するまでを、第2章では、ジャワから中国北部沿岸と朝鮮沿岸の周航を扱い、続く第3章(43ページから)で琉球について論じています。到着時の様子の描写に始まり、琉球の歴史を徐葆光(1671-1723)の書物を手引きとして論じた後、マクロード自らが実際に見聞した琉球の自然や人々の様子、文化や風俗、気質などが生き生きと描かれています。マクロードは、琉球の人々の礼儀作法が非常に丁寧で温かみがあること、また教養があり、文化的にも大変優れていることを、好感をもって描いています。滞在中に琉球語彙の習得にも励んだようで、様々な角度から統治に対する関心を持っていたことが伺えます。第4章では、琉球を去ってから、彼らの本来の任務である清との交渉について論じられ、アマーストによる交渉は彼が皇帝に対する礼を失したために、失敗に終わりますが、マクロードは清側の排外思想的な態度と面子を過度に重視する態度を批判的に述べています。第5章以降は、清を出港しマカオを経由してフィリピンに戻り、そこから帰国するまでを描いていますが、その途中アルセスト号は不幸にもジャワ海で座礁してしまいます。幸い救出されてジャワ島にたどり着いていますが、マクロードは、統治を当時支配していたオランダの政策を批判的に考察しています。なお、英語版では、最後の巻末に付録として琉球王朝の年代記や語彙集などが収録されていますが、本書ではそれらは割愛されています。
18世紀末から琉球へのヨーロッパ船、特にイギリス船の寄港や難破が相次ぐようになっていましたが、40日以上の長期間にわたって滞在し、その記録をヨーロッパに書物で伝えたのは本書が初めてで、ライラ号に乗船していたホール(Basil Hall, 1788-1844)が1818年に刊行した『朝鮮西岸部・大琉球拝見記(Account of a voyage of discovery to the west coast of Corea, and the Great Loo-Choo Island.)』とともに、大変な反響を呼びました。

(執筆:羽田孝之)

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