テイセイラによる日本列島図

テイシェイラ作の日本列島地図
制作年 1595
制作者 オルテリウス
出版地 ロンドン
言語 ラテン語
イギリス
分類 日本図

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解説

 これは、西洋における日本地図の基本形として、17世紀半ばまで強い影響力を及ぼした日本地図で、メルカトル(1512−1594)と共に地図帳製作の礎を築いた、オランダのオルテリウス(1527−1598)によって刊行されました。オルテリウスは、メルカトルの協力と示唆を得て、自身が収集した世界各地の地図を一つの地図帳にまとめあげて出版することを企画し、大変有名な地図帳『世界の舞台(Theatrum Orbis Terraum)』を1570年に出版しました。この地図帳は刊行されてからも、補巻を出すことで最新の地理情報を追加していきましたが、この日本地図は、補巻第5巻(Additamentum Quintum)が1595年に刊行される際に、初めて印刷されました。本館が所蔵するのは、1606年にロンドンで刊行された英語版に収録されていたもので、初版に収録されたものと基本的に同じです。
 オルテリウスはこの地図を、イエズス会士の地図製作者でスペイン王室に仕えていたテイシェイラ(1564−1604)から1592年ごろに入手したものと思われます。ただし、テイシェイラ自身が作成したものというよりも、イエズス会士の情報網を通じてテイシェイラが得た地図、という方が正確ですが、オルテリウスは彼に敬意を表してか、テイシェイラ作として刊行しています。
 北海道が描かれていないことを除くと、それまでのヨーロッパで作成された日本地図よりも遥かに正確な地図になっており、当時の日本において用いられていた、いわゆる行基図を参考にしたものと思われます。本州は、JAPONIAと記され、主要な都市が具体的に書き込まれており、西洋風の城郭を表すマークが配置されています。本州の中心に描かれているひときわ大きな城郭のマークは、MIACOと記されており、これは「都」すなわち京都を示しています。四国は、TONSA(土佐)、九州はBVNGO(豊後)と記され、ヨーロッパ人が知り得た都市名が書かれています。特に九州西部は、Firando(平戸)など、イエズス会士やポルトガル、スペイン航海士にとって重要であった地名が詳細に書き込まれています。この地域の地理的情報は、日本の行基図には見られないものであることから、日本の行基図をベースにしながらも、ヨーロッパ人自身で知り得た情報を付け加えることで最新で正確な日本地図を伝えようとしていることがわかります。なお、地図に描かれている経度が不正確なように見えますが、これは当時の地図作成時の子午線が、現在のようにグリニッジにあったのではなく、プトレマイオス(83?−168?)によって世界の果てとされていた、カナリア諸島のフェロに置かれているためです。朝鮮半島が島のように描かれているのが目につきますが、これは、中国経由でヨーロッパに伝えられた地図の影響であると言われています。この地図は、その完成度の高さからほとんど変更されずに、オルテリウスの地図帳や、その版権を得た後継者によって繰り返し再版されただけでなく、簡易版の小型の地図帳にも転載されており、17世紀半ばまでのヨーロッパにおける日本像の基本形となりました。

(執筆:羽田孝之)