アジア図

制作年 1735
制作者 クレピー
出版地 パリ
言語 フランス語
フランス
分類 地図

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解説

このアジア図は非常に珍しいもので、1735年にフランスの地図制作者であったクレピー(Etienne Louis Crépy, ? – 1759)によって1735年に発表されています。クレピーについての詳細はよくわかっていませんが、その父ジャン(Jean Crépy, 1660 – 1739)が彫版や地図制作の分野で名声を得たことで知られており、その影響で地図製作を手がけたのではないかと思われます。彼の息子(Jean-Baptiste Crépy, 1730 – 1780)も地図製作者として活躍し、日本図も製作したことで知られていることから、クレピー家は地図製作の分野において当時ある程度の評価を得ることに成功した一家と言えるでしょう。

このアジア図は、54.7 cm x 77.3 cm とかなり大きなもので、中心部に折り目が見られることからなんらかの地図帳に収録されていたものではないかと思われます。同時代やそれ以前のアジア図には、本図が直接に範としたような類似の地図を見つけることができないため、クレピー自身が独自に製作したところが大きいユニークなアジア図です。地図の左上には、本図で描かれているアジア全般についての概説が細かく記されており、また右上には本図の名称や、この図がクレピー自身によって1735年に印刷されたことなどが記されています。

本図に描かれている日本の姿もあまり他に類例のないもので、東西に水平に広がった本州がほぼ垂直に折れ曲がる形で北方に伸びて描かれています。輪郭はかなりあやふやなものになっていますが、それなりに地名も書き込まれていて、その典拠となった情報もある程度記されているなど、一見して受ける印象よりも充実した日本図としての体をなしています。ただ、九州が誤って「四国(Cikoko)」とされるなどの(本図に限らず当時の他の地図によく見られた)間違いも見られます。北海道は「蝦夷大陸(TERRE D’ESO ou D’YESSO)」とされて完全にユーラシア大陸の一部となっていて、その南端に「松前(Matsumey)」と記されていますが、その東部沿岸はオランダ人航海士フリース(Maerten Gerritsz de Vries, 1589 – 1647)による1643年の蝦夷北東部の測量情報にある程度基づいて描かれているようです。

装飾部分で大変面白いのは、地図下部の海上に描かれたメダルで、これらは本図に描かれているアジア各国の紋章を(その正確性はさておき)表現しています。この部分をよく見てみると「JAPON」と記された日本の紋章も描かれていて、「違い矢紋」と思われる家紋を見つけることができます。日本の家紋を描いた地図としては、単独の日本図であるシャトレアンの日本図が有名ですが、他のアジア各国とならんで日本の家紋として描かれているのは珍しく、当時の日本表象の興味深い事例の一つに数えられるでしょう。

(執筆:羽田孝之)