日本王国図

制作年 1735頃
制作者 ケンペル
出版地 アムステルダム
言語 オランダ語
オランダ
分類 日本図

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解説

 ドイツ人で東インド会社に勤めて来日した医師であるケンペル(Engelbert Kaempfer, 1651-1716)が遺した原稿を元に、イギリス人ショイヒツァーが編集して英語で出した書籍『日本誌(The History of Japan. 1727)』は、ヨーロッパにおける日本研究の金字塔として200年以上読み継がれました。『日本誌』には、日本地図が収録されていますが、この地図は、それを元に『日本誌』のオランダ語版(Het koninkfyk Japon. 1735)の出版にあたって、新たに作成されたものです。英語版ではラテン語で書かれていた地図中のテキスト部分を全てオランダ語に改めていますが、基本的な内容部分は原図を忠実に再現しています。
 ケンペルは日本地図の作成にあたって、石川流宣の「本町図鑑網目」(1687(貞享4)年)や、作者不明の「新撰大日本図鑑」(1678(延宝6)年)を参照しており、それらを元にして自身のスケッチを描きました。ショイヒツァーは、ケンペルのスケッチと日本の地図とを比較しながら、一部独自の修正を加えて自身のスケッチを作成し、それをさらに発展させて日本地図を完成させました。
 本州北端とJESOGASIMA(蝦夷ケ島)と書かれた北海道との間には、松前が島として描かれていますが、これはもちろん実在しません。ケンペルのスケッチにはなかったものですが、ホーマン(Johan Baptist Homann, 1663-1724)によるカムチャッカと蝦夷図の影響を受け、ショイヒツァーが独自に加筆したものです。地図の左上に描かれている二つの図のうちの左側は、ショイヒツァーがホーマンの地図をスケッチして借用したカムチャッカの部分図です。その隣にある図は、本州北端と、北海道南端を描いた部分図で、ケンペルの元来のスケッチの輪郭を元にしており、より正確なものですが、そのことについてはテキストでは触れられていません。
 一見してすぐ分かるように、各藩には漢字でそれぞれの名前が書き入れられています。これもケンペルのスケッチにはなかったものですが、1715年に発表されていたレランド(Adrien Reland, 1676-1718)の日本地図を参考にしてショイヒツァーが独自に付け足したものと思われます。ただし、レランドは蝦夷と琉球を除いて66州としていたものを、68州としています。本州上部に描かれた羅針盤の図では、日本と世界各地との距離が書き込まれています。また、地図の装飾として、ケンペルのスケッチにあった七福神の大福、恵比寿、福禄寿が描かれていますが、福禄寿の頭部はターバンが巻かれてしまっています。

(執筆:羽田孝之)